朝日新聞の読者からの投稿による「声」「若い世代」(九九年三・四月分)に記載された、比較的若い世代の意見文を素材にして五百字の意見文を書く指導を行った。新聞の読者の声を、教材化した理由は、
新聞投書に記載された内容は、現実の高校生たちが共感できるものが多く、素材としてはかなりの感情移入ができる。同世代の高校生の意見に触発されて、自分なりのメッセージを発信し、主張していくことを目標に授業に取り組んだ。
「導入・展開・反論・結び」の四段落形式で意見文を書かせるように指示した理由は、物事を一つの側面からではなく複眼的な目で捉えさせたかったからである。あるテーマに対して「対立的な構造」を発見させることで、意見の拡充、深化を図ることができる。新聞投書では、様々な問題に対して多様な人たちが立場の違う見解を述べあっているものが多く、考えを深めていくのに好都合な素材が多い。今回、資料化した中では、「若い人や女性の言葉の乱れ」について、大学生・中学生・小学生といった3人の女性がそれぞれの意見を展開していく一連の流れがいい例となった。
「対立的な構造」を発見することは、大西道雄氏による「意見文の生成過程」の中で、漠想から分化想へと進む部分に相当する。新聞投書の意見では、高校生にとって身近で現実的なテーマを扱うことができるために、「対立的な構造」を発見させるには、非常によい思考トレーニングになると考えた。その為の具体的な手段として、「導入・展開・反論・結び」という四段落構成を利用した。この文章構成を用いれば、自分の立場を明確に設定でき、予想される反論への反論を行うことで、意見文の説得力を高めることができる。論理的な文章構成をわかりやすく教える手段としても有効であると考えた。さらに、反論部を作成することが難しいと予想されるので、「確かに〜。しかし、…。」、「もちろん〜。しかし、…。」「(一方)〜という意見(見方)もあるが、しかし…。」といった論理キーワードを、反論の第三段落の冒頭で必ず使用するように指示した。
今回の取り組みでは、新聞社への投稿を呼びかけることで、五百字の字数を設定し、自分の作品の読み手は、広い年代の人々であることを意識させた。架空の読者を設定することで、読み手意識を高めることができるのではないかと考えた。実際、希望者の原稿を、地元の大分合同新聞社、朝日新聞西部本社へ送り、クラスメートの作品が新聞に掲載されたことで、生徒たちの文章表現に対する興味と関心を喚起することができたと思っている。
主題文に対して傍線部を引かせたのは、主題意識を高めるための工夫である。授業全体が文章構成の型を教えることに終始している嫌いがあるために、自分が一番、訴えたい内容である主題文を明確にするために、傍線を引かせた。大西道雄氏の「意見文の生成過程」では、分化想から統合想に進む過程に働きかける工夫として、このような条件を設定した。主題文を置く位置については、自説の反対意見を述べる箇所を除けば、どこに置いてもかまわないと生徒たちに指示をした。
以上のような、作文の条件を設定をして、生徒たちの作品がどうできあがるかを検証した。
〈第一時〉 | 新聞投書の資料NO1〜NO4を配布して、読み合わせをする。 |
〈第二時〉 | 五百字の作品例を提示して、「導入・展開・反論・結び」の意見文の型を紹介し、この型にのっとって意見文を書くように指示する。 |
〈第三時〉 | 下書きをする。 |
〈中間考査〉 | 一学期、中間考査の試験として、清書をさせる。 |
〈第四時〉 | 各クラスごと優秀作4編を選び、読み合わせを行った後、最優秀作品を1編、生徒たちの投票で選出する。 |
本単元終了後に、新聞社投稿用の原稿用紙(六百字)を作り、希望者に提出をさせて、実際に新聞社にまとめて送った。朝日新聞西部本社へ8編送り、2編が掲載された。地元の大分合同新聞社へは6編送り、全てが掲載されている。投稿は希望者だけに限ったので、実際は投稿を勧めた優れた作品もあったが、本人の意思を尊重して断念した作品も多かった。
まず、資料として教材化した新聞投書の一部をあげてみたい。全て、朝日新聞の「声」「若い世代」の3・4月に掲載された読者からの投稿原稿である。この中には、今回、条件として設定した意見文の型になっている作品もあり、それぞれの作品の文章の構成と、その主題文にあたる箇所については、読み合わせの際、その都度、注意して解説するように心掛けた。
女性の言葉が乱れています 大学生 白井 文子 (埼玉県越谷市 22歳)
最近、自分も含め、若い女性の言葉遣いの悪さが目立つように思う。友人と話していても「ハラ痛い」「てめえ」など、みんな平気で言っている。私も気をつけているが「こういうやつ」など、よく考えると下品と思われる言葉も使ってしまう。
先日、電車に乗った時、同世代ぐらいのカップルが向かい側に座っていた。女性は顔立ちも美しく、あでやかな色の服を着て、とても、すっきりした感じの人だった。
見とれるほどの人だったが、この女性の言葉を聞いて驚いてしまった。「うちのババア、すげえうぜえ」と大声。電車から降りる時も、同伴の男性に「トロトロすんなよ」などと言っていた。
最近の子供の口の悪さも目立つ。母親らの口まねだろうか。テレビに出てくる若い女性のタレントも、平気で下品な言葉遣いをし、年配者に敬語も使わない。テレビの影響は大きいので、これらも子供がまねをする。
日本の経済も気になるが、日本語の将来も気になる今日このごろである。(99年3月21日)
10代への認識改めさせたい 中学生 福芳 麻衣子 (福岡県飯塚市 13歳)
「若い人や女性の言葉の乱れ……」(二十一日付)についての記事を読み、私も同じ思いでいます。
隣のクラスには、ちょっとかわった、かわいい声でしゃべる「オレ」と自称する女生徒がいます。その生徒は、制服のスカートも短く髪も染めています。私は友だちになりたいとは思いません。けれども、その生徒の仲間たちは「でも優しいよ」と口をそろえて言います。
最近、十代による犯罪が多発しているようですが、テレビ番組などの影響があると思います。そのために若者のイメージが悪くなっているような気がします。
こんな時こそ、乱れた言葉遣いはやめて服装も正して、大人たちの「色眼鏡」を外させなければいけないのではないでしょうか。(99年3月29日)
髪型や服装は「個人の自由」 小学生 熊田 麻実 (山口県 11歳)
「10代への認識改めさせたい」(二十九日付)の女子中学生の意見に、私は反対です。
私はかみを茶色にそめています。そのため、すれちがう人に、「小学生のくせに……」と言われます。でも、私はこの茶色のかみが気にいっています。このかみのせいで仲間はずれにされたり、くつをかくされたりしました。
確かに十代による犯罪はたくさん起きてイメージは下がっています。それでは、あなたはイメージを上げていますか。流行の服を着たり、流行の物を買ったりしていませんか。あなたも知らぬ間にイメージを下げているのです。
大人の中には、かみをそめていても、流行を身にまとっていても、「個人の自由」として認めてくれる人がいます。あなたは、自分やまわりの人を色めがねで見ていませんか。かみをそめたり、流行の服を着たりするのは、私は個人の自由だと思います。(99年4月6日)
駅で堂々化粧今風の女高生 無職 野村 恒子 (茨城県 69歳)
とても寒い朝でした。駅の待合室で時間待ちをしていたら、隣の席にルーズソックスの女子高生が腰をおろしました。
すると、その女子高生がお化粧を始めたのです。「あれれ」と思い、そっと横目で見てしまいました。
まず、まつ毛を丁寧に整え、次はアイシャドー、最後は口紅をきれいにつけたのです。その間、数分。その手際のよさに、思わず見とれてしまい、気がついた時には、その女子高生が電車に乗る後ろ姿を見送っていました。 そして、考えてしまいました。毎日、お化粧しているのだろうか。今日は時間の都合で、駅でのお化粧となったのだろうか。授業中も、あのままなのだろうか。また、都会では、当たり前なのだろうかとも。
大衆の面前で、おくすることなく、お化粧をする様子からは、少女らしさは感じられません。一人前の女性の姿が重なりました。
「今風」という言葉を、よく耳にします。女子高生のお化粧も、その今風なのでしょうか。
昭和一けた生まれの私は、少しだけ驚きました。そして、一瞬ですが、セピア色の女学生時代が脳裏をよぎりました。戦争で制服も着られなかった、あの時代が。(99年3月26日)
性差別許さぬ強い心持とう 高校生 増井 あさみ (山口県宇部市 16歳)
「お前みたいな公衆便所がいるから、男はみんなズボンをずり下ろすんだよ。」
これは、あるテレビドラマのセリフですが、この言葉に怒りを感じた女性は多いのではないでしょうか。
男女平等社会と表向きにはよく言われますが、女性差別はいろいろなところに根強く残っています。この問題を解決しなくては、と言いつつも差別の解消はならず、問題は長期化しているように思われます。
男性にとって女性は母親的存在で、自分を癒してほしいという願望があるかも知れませんが、そのどこかに性的な対象としか見ていない部分もあるように思います。
女性は男性と同じ人間で、男性に都合のよい道具ではありません。女性に対して差別的、性的対象となる言葉を使うのは慎むべきではないでしょうか。
女性も精神的に強くなり、もっと自分の体を大切にしてほしいと思います。(99年3月22日)
「家事は母親」CMに違和感 中国語講師 井上 昌子 (山口県宇部市 34歳)
最近、気になってしょうがないCMがある。夫婦と子供で出かけ、夕方帰宅したらしい場面なのだが、家族みんなが「ご飯は?」と母親に詰め寄り、母親は疲れているのか、責任放棄をごまかすかのように動物の「ナマケモノ」のマネをする。
このCMは「作りたくないときにも簡単にできる我が社の製品」と言いたいらしいのだが、なぜ、食事作りが母親の役目となっているのだろう。みんなで外出して、みんなが疲れている中で、なぜ母親だけ、さらに食事作りを要求されなければならないのだろう。
なぜ、「今日の食事当番はお父さん」とか「お父さんもお母さんも疲れているとき、子供にも簡単に作れる我が社の製品」とはならないのだろう。 共稼ぎの夫婦は増えても、家事の負担は相変わらず女性が背負っているという。外で同じように疲れ、帰宅してさらに「家事」という仕事を要求され、「結婚しても負担が増えるだけ」と考える女性が増えるのも無理はないと思う。
非婚化、少子化の根っこは、こんなところにもあると思うのは、考えすぎだろうか。(99年3月22日)
無神経な報道視聴者も責任 高校生 久保 慎司 (熊本市 17歳)
先日、歌手の安室奈美恵さんの母親が殺される事件が起きましたが、テレビ報道の在り方に疑問を持ちました。
どうして報道陣は遺族に無神経につきまとうのでしょうか。自分がその遺族の立場であったなら、きっと悲しみを通り越し、怒りを感じるでしょう。
人が亡くなったということを、そんなに公表しなければならないのでしょうか。自分の母親が亡くなり、悲しみに暮れている時に、さらなる苦しみを味あわせることはないと思います。
しかし、忘れてはならないことがあります。それは、そのような興味本位の報道を喜んでみている視聴者がいると言うことです。
視聴者がいるから、そのような報道が番組の中に組み込まれているわけで、もしも他人の不幸を自分の不幸のように思うことのできる社会であれば、このような番組は成立しなくなるでしょう。
報道の在り方も改善されるべきだとは思いますが、一人ひとりが他人の気持ちを思いやることができるようになることが最も大切なのではないかと思います。(99年3月25日)
在日の私にも歌える国歌を 高校生 全 美香 (東京都台東区 17歳)
最近紙上をにぎわしている日の丸と君が代を法制化しようという動きに、私は在日韓国人ですが、少し納得がいきません。
私は小学校からずっと日本の学校に通っています。もちろん、君が代も何度も歌ったことがあります。でもある日、祖父から「君が代なんて歌は歌っちゃ駄目だ」といわれ、子供ながらも困惑したことを覚えています。
日本が、韓国・朝鮮人をひどく差別していたころのことが、祖父の脳裏から離れないのです。
幸い、私は友人に恵まれ、今まで韓国人ということで差別を受けたことはありません。しかし今、自分の将来について考えることが多くなるにつれ、日本の中に残っている差別に直面することがあります。
日本で生まれ、学び、暮らしているのに、民族の違いだけで差別される世の中に。
私は日本が好きです。オリンピックやW杯の時だって日本を応援しています。でも、日本と韓国の歴史的背景や、現在も残る差別を考えると、君が代を日本の国歌として受け入れにくいのです。
外国籍の私が口を挟む問題でない、といわれるかも知れませんが、私は、日本に住んでいる人々全員が気持ちよく歌える国歌が出来ることを望んでいます。(99年3月27日)
教材化した新聞投書の文章は、言葉遣い・服装や頭髪、お化粧などの風俗問題・性差別や男女同権などの問題・マスコミ報道の在り方・日の丸、君が代問題など非常に多岐にわたる問題を取り扱っている。投稿者の世代は、小中高校生を中心として生徒たちの世代に近い作者の文章を選んだ。
「女性の言葉が乱れています」・「10代への認識改めさせたい」・「髪型や服装は『個人の自由』」の3つの文章は、それぞれ連動しており、紙上デイベートとも言えるような構成をとっている。特に、小学生の文章である「髪型や服装は『個人の自由』」は、条件とする四段落形式の型に沿っており、その構成を次のように解説した。
「髪型や服装は『個人の自由』」の文章構成図
1 導入 | 言葉遣いや服装を正すべきであるとする女子中学生の意見に私は反対である。 (自分の立場をはっきりと示す。) |
2 展開 | 私はかみを茶色にそめているので、仲間からいじめられている。 |
3 反論 | 確かに、十代による犯罪は多発し、そのイメージは下がっている。 (しかし、)あなたも知らぬ間にイメージを下げている。(流行の服・物で) |
4 結び | (主題文)かみをそめたり、流行の服を着たりするのは、私は「個人の自由」だと思います。 |
キーワード | 「個人の自由」 |
この文章は、反論部に感情的な意見が見られ、論理的な論証としては弱いが、今回、作文の条件として設定した四段落構成になっており、その点を強調して、この型で書くことを指示した。取り上げた文例の中では、熊本の高校生による「無神経な報道視聴者も責任」が出色のできばえだった。実際、このようなレベルの意見文が書ければ、高校生の小論文としては、申し分ないとして生徒に紹介した。この文章の構成は次のようになっている。
「無神経な報道視聴者も責任」の文章構成図
1 導入 | 安室奈美恵さんの母親の死を扱うテレビ報道の在り方に疑問を持つ。 |
2 展開T | 悲しみに暮れる遺族に対して、報道陣はあまりにも無神経である。 |
3 展開U | (別の見方や視点を示して、思考を深めていく。) しかし、興味本位の報道を喜んでみている視聴者の存在を忘れてはならない。 |
4 結び | (主題文)報道の在り方も改善されるべきであるが、一人ひとりが他人の気持ちを思いやることが最も大切である。 |
キーワード | 「無神経」・「興味本位の報道」 |
以上のように新聞投書の文章構成図を解説した後に、「駅で堂々化粧今風の女高生」という投書に触発された形で、今回、条件とする意見文の型にのっとって、ひな形になる例文を作成した。それは、次の通りである。
公と私の場のけじめを 〜女子高生のお化粧を考える〜 (田口・作) | |
最近、お化粧をして学校へ通う女子高生が増えています。授業中に手鏡をとり出して容貌をチェックする生徒は、ここ数年で目立ってきました。 |
(問題提起・導入部)
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巷にモノが氾濫している豊かな社会の中で子どもたちの生活も多様化しています。プリクラ手帳やルーズソックスなど女子高生、特有の文化というものが存在しています。お化粧も「今風」の彼女らの文化の一つとして、
定着しつつあるのかも知れません。人前で堂々とお化粧するのは、何も女子高生に限られる現象ではありませんが、授業中にポケベルが鳴ったりなど、公と私という場のけじめのなさに唖然とすることがあります。
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(展開部)
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もちろん、おしゃれ自体を否定するつもりはありません。いつの時代も「かっこよさ」というのは若者の憧れです。しかし、お化粧までせずとも、その演出は可能なのではないでしょうか。
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(反論部)
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授業が始まっても机の上にペットボトルのお茶が残っていたり、昼食後のベランダのゴミの散乱を見ていると、公の空間が私的な生活の延長にあるような気がしてなりません。お化粧もそのような意識の下にあると思います。学校でのお化粧は控えるべきでしょう。
(五百字)
(傍線部は、主題文である。) |
(結び・結論部)
主題文について
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このような事前の準備を経て、一学期の中間考査に、新聞投書を意識した五百字の意見文を書く小論文の試験を実施し、ABCの百点満点で評価を行った。左記は、小論文試験の案内として考査前に配布した資料である。
次に生徒の作品を紹介したい。各クラスごとにAの評価をつけた作品の中から4編を選び、プリント化して生徒に配布した後、投票によって、一名を選出させた。作品の文題の下に記した数字は、獲得票数を表したものである。この作業では、生徒の名前を隠し、投票の実数も公表せずにただ結果だけを報告するという慎重な扱いを行った。3年3・4・5・7組の作品をそれぞれ紹介する。各クラスとも冒頭の作品が、生徒によって選出された作品である。尚、主題文にあたる箇所には、生徒の手によって傍線が引かれている。
3年3組作品集(投票総数36票)
時代を変える強い意志を持とう 20票 Y・S 女子生徒 今の時代は嫌いです。くらしが豊かになり物があふれ、時代の流行・遅れで人の価値を判断されているような感じがするからです。 |
ビジュアル系バンドに批判の目を向けないで 7票 T・M 女子生徒 ここ最近、ビジュアル系というバンドが増えてきました。激しいドラムやベース音、男性なのに化粧をして、まるで女性の様な姿に、私はものすごい印象を受けました。 |
万弘寺について考える 7票 M・Y 女子生徒 今年も万弘寺の市の季節になりました。千四百年の伝統を誇るこの行事も、以前と比べて活気がなくなったような気がします。 |
現代の子供達 2票 M・U 女子生徒 現代の子供達は、外で遊ぶ事が少なくなってきていると思います。私は今まで特に何とも思いませんでしたが、最近外で遊んでいる子供を見る事がありません。 |
3年4組作品集 (投票総数34票)
障害者は「かわいそう」ではない 17票 N・M 女子生徒 私は障害者は「かわいそう」という考え方には疑問を感じます。 |
花を眺める“ゆとり”を持つ 6票 K・N 女子生徒 学校の登下校の時や近所を散歩する時、玄関や庭先に歌声でも聞こえてきそうなほどたくさんの花を飾っている家を見かける。それを見るとホッとすると同時に今までの自分の余裕のなさにハッと気がつく。 |
現代社会の状況 〜リストラ問題と就職難〜 6票 M・O 女子生徒 つい先日、父の会社でリストラがあり、父が長年お世話になった方が会社を辞めました。これまで何度かテレビや新聞で聞いたことのあった、この「リストラ」という言葉に私は、ふと不安という気持ちを抱きました。
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「百円均一」は貧乏人の味方 5票 A・K 女子生徒 最近、広告や店頭などで「百円均一」という文字をよく目にします。そうするといつの間にか引かれていき、店に入ってしまいます。 |
3年5組作品集 (投票総数35票)
国民が銃を持つことについて 〜銃社会アメリカを考える〜 14票 M・T 男子生徒 先日アメリカで起こった、ハイスクールでの高校生二人組銃乱射事件は、記憶に新しいものだと思います。あの事件を知って私は、銃社会アメリカに対し、ただならぬ嫌悪感と疑問を抱きました。 |
高校生というだけで判断するな 14票 C・T 女子生徒 最近、コンビニやデパートに行くと必ずと言っていい程、防犯カメラを目にする。万引き防止の為なのであろうが、そのカメラの視点は「高校生」に向けられている気がしてならない。 |
刑罰と人権保護 5票 S・K 男子生徒 最近、犯罪者に対する刑罰と、人権保護のあり方が矛盾している気がする。現代社会では数多くの犯罪が発生している。 |
反抗できない子供達 〜幼児虐待を考える〜 2票 T・K 女子生徒 子供に対する暴力などのニュースを最近よく耳にする。それもほとんどの場合は、家庭内で起きているのが現実である。 |
3年7組作品集 (投票総数20票)
脳死判定後の臓器移植をめぐる報道のあり方について 11票 T・T 女子生徒 最近、脳死判定による臓器移植が二回ほど行われました。このことを報道するマスメデイアに対して、私は違和感を覚えました。 |
家族間の会話とテレビ 〜食卓の在り方を考える〜 6票 M・G 女子生徒 テレビをつけたまま食事をとる家庭は非常に多いと思うが、私はこのことにいささか不安を抱いている。 |
心身ともに傷を負わせる幼児虐待 2票 M・H 女子生徒 最近、テレビのニュースなどで幼児虐待という言葉をよく耳にする。虐待を受けて死んでいく子供も少なくはない時代になっている。しかし、何の罪もない子供の命を虐待によって奪うということはあってはならない。 |
個性あふれるTV報道を 1票 R・E 女子生徒 TVのニュースというのは、だいたいどのチャンネルも同じ時間帯に放送しているが、それだけでなく内容までもが画一化してきている。この問題について考えてみたい。 |
生徒の作品は、どれもおおむね作文の条件を満たしており、しかもほとんどが原稿用紙の最終行まで書き上げていた。「導入・展開・反論・結び」の四段落構成で書こうというねらいは、基本的に達成することができたと思っている。各クラスともABC判定の分布は、次のようになっている。
3年一学期中間考査(小論文試験の得点分布)
\クラス \ 評価 \
| 3の3 | 3の4 | 3の5 | 3の7 |
---|---|---|---|---|
(A)評価 100点 | 1名 2.6% | 1名 2.8% | 1名 2.7% | 1名 4.5% |
A評価 90点 | 9名 23.7% | 9名 25.0% | 9名 24.3% | 5名 22.7% |
A'評価 80点 | 1名 2.6% | 1名 2.7% | 1名 2.7% | 1名 4.5% |
B評価 75点 | 14名 36.8% | 13名 36.1% | 14名 37.8% | 10名 45.5% |
C評価 65点 | 14名 36.8% | 13名 36.1% | 13名 35.1% | 6名 27.3% |
生徒総数 | 38名 | 36名 | 37名 | 22名 |
平均点 | 75.0点 | 75.3点 | 75.3点 | 75.9点 |
今回は、授業中に評価では、オリジナルな作品を尊重すると呼びかけたために、A判定をつけた作品は、ほとんどが資料(新聞投書)の話題ではない、独自の意見や主張を述べた文章となった。C判定の作品は、反論が内容的に成立せずに破綻しているものか、主題が不明なものが大部分であった。判定では、A判定とB判定の区別をつけることが難しかった。点差も15点の差を設けているので、その違いをわかりやすく説明しなければ、生徒たちも納得がいかないだろうと思われた。
論理的な型にのっとって論旨の整った文章であれば、「ふつう」といった評価を下すことができる。評価についての事前の説明でも、Aの基準は独創性があること、Bの基準はふつうの内容といった極めて曖昧な表現にとどめていた。実際の生徒の作品を読んでいて感じたことは、内容にユニークさがあって、読み手を引きつけるだけの説得力を持っているかで、判断が分かれるということであった。A判定の作品から4編を私の目で選び、生徒に配布して、最優秀作品を1編選出する過程でAの作品のレベルを紹介したつもりであるが、AとBの作品の違いを生徒たちにわかりやすく説明するには、もっと指導上の工夫が必要なことを痛感した。作文の評価には、様々な方法があると思うが、短期間で百名を越える生徒の作品を読んで評価するには、ABC判定が一番、現実的で実現可能な方法なのではないかと考える。それぞれの評価の配点は、経験的に平均点が75点(B判定基準値)付近に落ち着くことを予測しての設定であった。今回、Α'(80点)を設定した理由は、最終行に達してはいないものの優れた作品が存在したことが理由となっている。
入念な記述前の指導を行えたというわけではなかったが、生徒たちは四段落形式を守って、おおむね論理的な文章を書きあげることができていた。文章構成を習得するという点では、初期の目的を果たせたのではないかと思っている。主題文に相当する箇所に、傍線を各自で引かせたが、B判定以上の作品では、主題としてふさわしい一文が書かれていたと思う。各クラスとも六割から七割の生徒たちがその基準をクリアーしていた。
同世代の新聞投書の文章を読むことで、自分の立場を明確に主張する論理的な文章のイメージをつかむことが、比較的容易に行えたのではないかと思う。新聞に投稿しようとする「場」の設定が有効に働いた点も考えられる。クラスメートの作品が、実際に新聞に掲載されることで、教室の中に新鮮な驚きを提供することができた。新聞社では、読者からの投稿原稿をEメイルで受け付けているところもあるので、今後は情報教育とNIE教育が連動した授業を構築することも可能であると思う。
今回の指導では、論理的な文章表現の型について教えることはできたが、内容面の独創性をどう高めていくかについては、手が回らなかった。全ての生徒の作品に目を通し、誤字・脱字、文章のねじれの箇所を指摘するのが、精一杯であった。一人ひとりの文章の内容の指導については、個別指導でなければ不可能であり、一斉指導では限界がある。従って、論旨の整った文章を書けるために、まず文章構成の方法を教えることを第一に考えた。
独創的な文章を書けるようになる前に、文章構成法の基本的な技術を教え、トレーニングすることが必要である。生徒たちに聞いても、このような手順をふんだ作文練習は、中学校・高等学校の段階でもきちんと教えられてきていないのである。コミュニケーション能力が求められている現代社会において、論理的な文章を書くトレーニングを行うことは、非常に大切なことだと痛感する。
論理的な文章を書くための「場」の設定として、新聞投書を用いることは非常に有効であることが、実感できたので、今後もこのような取り組みを、実践していきたいと考えている。