注記
- 以下「即時読み」という語を用いる。
- 「話し手」に対応する「聞き手」と同じ語で、紛らわしいが、読者内部の役割分担に対して「聞き手」という語を仮に用いておく。例えば、小説のある一場面を「回想場面だな」ととらえるのは、「聞き手」である。
- これも変な語だが仮に用いておく。
- もちろん、論説文評論文においては、登場人物があらわれたり視点人物が事態を体験したりすることが稀であるから、「前方読み」といえども、「聞き手」本位の読みである。小説文物語文においては、「視点読者」「聞き手」の二つの役割を、読者が行うことになる。
- S/Z バルザック『サラジーヌ』の構造分析 ロラン・バルト 沢崎浩平訳 p20
- 読者が文章中のどこを今見ているかを記録する装置がある。感情の動きを発汗・発熱・呼吸数・心拍数によって記録する装置がある。これらを使って読みの外面を記録することができる。記録をもとに、読者にたいして「ここを読んでいるときに感情の昂ぶりが見られましたが、なぜですか」と尋ねることもできる。しかし、得られる回答は読者の主観(読んでいる最中の主観とは違う主観)によるものになる。大脳生理学が進んで、頭につけた電極から得られる脳波によって脳のどこの部位がどう活動しているかが即時に記録されなければ、 人間の精神活動を「客観的」に取り扱うことはできない。
- 黒田三郎詩集所収詩集「小さなユリと」より 本文は思潮社の現代詩文庫によった。連を区切る空行は、本文通りである。論者の都合で、行番号を施した。
- 即時読みにおいて、本文に叙述されているデータと常識とを元に、当面の判断を下すことを指す。
- 詩集の次の詩「九月の風」のなかに、
ユリはかかさずピアノに行っている? / 夜は八時半にちゃんとねてる? / 寝る前歯はみがいているの? / 日曜の午後の病院の面会室で / 僕の顔を見るなり / それが妻のあいさつだ
とある。本テキストの読みに直接関わらないが、参考までに。
- 以下の拙稿を参照下さい。
- 「文章表現におけるサスペンスについて(1)−−サスペンスとしての比喩−−」 学大国文第36号
- 「文章表現におけるサスペンスについて(2)−−サスペンスとしての描写−−」 国語表現研究第6号
- 宮沢賢治の「注文の多い料理店」は「献立は何か」というサスペンスで構成された作品である。
- ( )の中身は論者が補った。以下同様に、本文の引用に( )でくくって、論者の補い読みを書き込んである。
- 今、こうして自分の考えを緊張しながら書いている最中に、4歳になる娘が「これ見てよー」とやってくる。無視し切れない邪魔である。両者を同時に処理することは不可能である。ストレスを感じる。
- 行動面として、やさしい言葉をかけあうや、相手のために何か手伝うとかしてあげるとかが、想定できる。
- もちろん、文章種によって話題素に違いがある。
- 例外に論説文評論文がある。正当性の補強のために事例提示・推論過程が付加された論説文評論文は、正当性の確認後、要旨に還元できる。このような要旨は、主要な話題素配列を一文ないし数文に集束させたものである。
- 「言葉はすべて比喩だ」というのと同様に。