物語文の構成分析試案



野浪正隆

のなみまさたか

0 はじめに

 まず、以下の文章をご覧いただきたい。

事例1 1994.9.29 朝日新聞 朝刊 5面 13版 声欄 ((n)は解説の便宜上施した文番号である)

ベッドより外 もっと快い畑    亀岡市 栗林リエ(無職 93歳)

 (1)五月の連休に足の骨を折って入院しました。(2)それまで連日、家の前の畑に出てくわを使い、草をすいたりしていました。(3)その日も夏物野菜の苗を植えていました。(4)夜、ふろからあがったあと、入り口の段差で足を滑らせてしまい、仰向けに転んで大腿骨を折ってしまったのです。
 (5)救急車を呼び、担架で運ばれて行く姿を、ひ孫や近所の人に見られるのが情けなくて、死んでしまいたいと思ったほどでした。
 (6)ベッドの上での寝たきりの生活が二ヶ月続きました。(7)この年で寝たきりになると、大抵ボケてしまうそうです。
 (8)入院当初は気弱になっていましたが、家族が毎日見舞いに来てくれ、寂しい夜には泊まってくれました。(9)「このままではつまらん。もう一度歩きたい。畑に出たい」の一念で、どうにかよくなりました。
 (10)初めて歩いたときは、看護婦さんが拍手かっさいしてくれました。(11)自分の足で立って、病院の窓から見る風景はなんとすがすがしかったでしょう。
 (12)七月に退院し、家での療養を経て、ついにこの間、畑に立つことができました。(13)そして、今日は、白菜の苗を植えました。
 93歳の女性が骨折して入院して機能回復して日常に戻ったという文章であるが、ただそれだけではない。読む者の感動を呼び起こす文章である。どのような分析法を用いれば、感動を呼び起こす文章の仕組みを解明できるか。本論では、その試案を示す。

1 物語文の構成要素

 小説・物語の三要素として「背景・人物・事件」が、知られている。「どんな時・所を設定しようか、どんな人物を設定しようか、どんな事件を起こそうか」と表現主体は、発想し、ストーリーを作っていくのだろう。また、構成を分析する際にも「状況設定部・人物設定部・事件の伏線・事件の山場・事件の終結部」などの用語によって、三要素の枠組みを用いることがある。たしかに、出来事の筋・事件の筋は、はっきりするのだが、それ以上のことは、はっきりしないまま取り残されてしまう。例えば、主題を三要素による構成分析から導出することができるかというと、それは、不可能なのである。
 小説・物語文において主題と密接に関る要素は、主人公の心理である。心理に作用し、心理が作用する要素は、主人公の行動と、主人公の心理を「内界」とした場合の「外界」である。(「外界」では、言葉がこなれないので「状況」といいかえよう)
 この、「状況・心理・行動」という枠組みで、先の三要素をとらえなおしてみる。
背景=状況(ただし、主人公・視点人物以外の人物の心理・行動を含む)
人物=心理・行動(ただし、主人公あるいは視点人物の)
事件=状況×(心理・行動)

 新三要素の「状況」は、「背景」と「主人公・視点人物以外の人物の心理・行動」を含む。さらに風景や事物など、主人公・視点人物以外のものやことをすべて含む。「人物」は、主人公・視点人物の心理・行動だけを含む。主人公・視点人物以外の人物は、「状況」に含まれる。つまり、新三要素では、主人公・視点人物の「心理」を取り立てることになる。「事件」は、「状況」と「心理」・「行動」との関係としてとらえることができる。
 そして、小説・物語文は、「状況・心理・行動」の変化の系列としてとらえることができる。先行文脈によって形成されている「状況・心理・行動」のうちのある要素(複数の場合もある)が、変化することによって、他の要素が変化する。例えば次のように。
状況変化→心理変化雨がやむ→心が晴れ晴れする
状況変化→行動変化大きな音がする→とっさに耳を塞ぐ
(通常は心理変化を介して行動変化をおこすので、典型としては心理変化を介さない反射的な行動変化を挙げた)
行動変化→状況変化ドアを開ける→冷たい風が吹き込む
行動変化→心理変化背伸びをする→心が晴れ晴れする
心理変化→行動変化心が晴れ晴れする→原稿を書き始める
心理変化→状況変化心が晴れ晴れする→この町もいいところだと思いなおす
 (通常の人間にとって、状況が変化するということは、どういうことか。物理的に変化した状況を認識する場合と、いままで状況をそうとらえていたのに、こうとらえるようになったという価値付け・位置付けの認識が変化する場合である。前者は状況そのものが変化しているから、状況変化で問題はない。後者は認識の変化であるから心理変化とするのが妥当であるように思えるが、「状況は認識されてはじめて状況である。認識されていない状況は認識主体にとって状況ではない。」ことを考えて状況変化とする。特に、この「とらえなおし」による状況変化は、文学的文章を取り扱うときに重要であると考える)

 以上の「状況・心理・行動」の枠組みで、事例1を分析した。
状況
心理行動
(1) 五月の連休に   足の骨を折って入院しました。
(2) それまで連日、   家の前の畑に出てくわを使い、草をすいたりしていました。
(3) その日も   夏物野菜の苗を植えていました。
(4) 夜、ふろからあがったあと、入り口の段差で足を滑らせてしまい、仰向けに転んで大腿骨を折ってしまったのです。 (残念、不注意だった)  
(5)救急車を呼び、担架で運ばれて行く姿を、ひ孫や近所の人に見られるのが 情けなくて、死んでしまいたいと思ったほどでした。  
(6) ベッドの上での寝たきりの生活が二ヶ月続きました。(不安?)  
(7) この年で寝たきりになると、大抵ボケてしまうそうです。(ボケてしまうのか)  
(8)入院当初は気弱になっていましたが、  
家族が毎日見舞いに来てくれ、寂しい夜には泊まってくれました。(感謝1)  
どうにかよくなりました。(9) 「このままではつまらん。もう一度歩きたい。畑に出たい」の一念で、  
看護婦さんが拍手かっさいしてくれました。(うれしい1)
(感謝2)
(10)初めて歩いたときは、
病院の窓から見る風景はなんとすがすがしかったでしょう。 (11)自分の足で立って、
(12)七月に
家での
ついにこの間、
 (うれしい2)退院し、
療養を経て、
畑に立つことができました。
(13)そして、今日は、 (うれしい3)
(感謝3)
白菜の苗を植えました。

 (1)〜(3)で、93歳であるけれど達者である「私」が、行動で提示される。文頭にある状況句は、行動の時間帯を示している。
 (4)で、足の骨を折ったことが、詳述される。心理がかかれていないが、「残念、不注意だった」は、常識から推測できる。(このように、明示されていなくて、読み手が推測すべき空所・推測可能な空所は、括弧をつけて補うことにする)
 (5)で、心理がはじめて明示される。「情けなくて、死んでしまいたいと思ったほどでした。」という、生にたいする否定的な感情である。(読み手は、93歳であることと考えあわせて、「どうなるんだろう」というサスペンデッド状態になる。(参照文献1))
 (6)入院生活が概述される。その状況の中で、どんな心理状態であったか、どんな行動をしたかは提示されない。行動できない「寝たきり」に即した叙述である。
 (7)「寝たきり」が一般的にどんな結果を招くかの解説であるが、(6)の心理の空所があったために、「大抵ボケてしまうそうです」という客観的な叙述でありながら、「ボケてしまうのか?」という不安を暗示する。
 (8)家族が見舞ってくれるという状況と、「気弱になっていました」という(5)から継続している「生にたいする否定的な感情」が提示される。
 (9)の心理へと変化した契機は、(8)の状況であるだろうが、「家族だから見舞いに来るのは当然だ」などと思っている場合は、「生にたいする否定的な感情」から「生にたいする肯定的な感情」へと変化することは少ないであろうから、(8)に心理の空所を追加し、「感謝」を補う。
 (10)(11)は、行動が文頭に立っている。能動性が際立つ叙述である。
 (10)では、心理の空所があって、「うれしい」「感謝」を補う。
 (11)では、「風景はすがすがしかった」と対象よりの心理の提示にとどまっている。しかし、もちろん、(10)での「うれしい」「感謝」が継続しているはずである。
 (12)(13)では、(1)〜(3)と同じで、文頭に時の提示があり、私の行動が提示される。行動は、「初めて歩いた」「自分の足で立って」「畑に立つことができました。」「白菜の苗を植えました。」と機能回復の足跡を示している。そして、心理は提示されない。もちろん、(10)での「うれしい」「感謝」が継続しているはずであるが、機能回復の進みに応じて大きくなっていく「うれしさ」が心理の空所を埋めていくことになり、「そして」という接続詞によるポーズの後で、心理の空所には最高潮の「うれしさ」が埋められることになる。加えて、「感謝」も、思いの深さが増し、「家族−看護婦さん−風景−状況全体(自然とか、「お蔭様で」という時のお蔭の恩恵を与えてくれた何か)」へと対象が広さを増す。

 この文章の、読み手に感動を起こす仕組をまとめると、

  1. 心理の空所の設定
  2. 行動と心理の協調
  3. 漸層法

 となる。特に重要なのは、1であり、2・3は1の心理の空所を埋める手掛かりを与えるものである。

 事例1は物語文そのものではないが、物語的な要素を備えた文章であった。このような文章の仕組みを明らかにするときに、「状況・心理・行動」による分析が有効であるように思う。以下の章で、いくつかの事例文を取り上げて、分析を行う。


2 物語文の構成分析

2−1 事例2 芥川龍之介『羅生門』の構成分析

状況下人
心理行動
ある日の暮れ方   雨やみを待っていた。
羅生門の下 にきびを気にしながら 雨の降るのを眺めていた
だれもいない
きりぎりすが一匹
 (孤独感?)  
主人にに暇を出され途方に暮れていた  
雨は上がる気色がない とりとめもない考え 聞くともなく聞いていた
雨は羅生門を包んで、遠くから、ざあっという音を集めてくる 「盗人になるよりほかにしかたがない。」ということを、積極的に肯定する勇気が出ずにいた  
火桶が欲しいほどの寒さ  大きなくさめをして大儀そうに立ち上がった。門の周りを見回した
風は遠慮なく吹き抜ける。
きりぎりすも行ってしまった
 雨風の憂えのない、人目にかかる恐れのない、一晩楽に寝られそうな所があれば、そこでともかくも、夜を明かそう。上なら、人がいたにしても、どうせ死人ばかり  
はしご  はしごのいちばん下の段へ踏みかけた。
何分かののち   猫のように身を縮めて、息を殺しながら、上の様子をうかがっていた
羅生門の楼の上へ出る、幅の広いはしごの中段   足音を盗んで、はうようにして上りつめた
上ではだれか火をとぼして、動かしているただの者ではない。
恐る恐る
楼の内をのぞいてみた
死骸の腐乱した臭気  思わず、鼻をおおった
猿のような老婆が死骸の一つの顔をのぞき込むように眺めていた鼻をおおうことを忘れていた
ある強い感情が、嗅覚を奪ってしまった
六分の恐怖と四分の好奇心とに動かされて、暫時は息をするのさえ忘れていた
  
長い髪の毛を一本ずつ抜き始めた恐怖が少しずつ消えていった
あらゆる悪に対する反感が、一分ごとに強さを増してきた
悪を憎む心は、老婆の床にさした松の木切れのように、勢いよく燃え上がり出していた
両足に力を入れて、はしごから上へ飛び上がった
老婆は飛び上がった  聖柄の太刀に手をかけながら、大股に老婆の前へ歩み寄った
老婆は突きのけて行こうとする  「おのれ、どこへ行く」下人はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した
「何をしていた。言え。言わぬと、これだぞよ」
老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、目を眼球がまぶたの外へ出そうになるほど、見開いておしのように執拗く黙っている初めて明白に、この老婆の生死が、全然、自分の意志に支配されているということを意識した。

この意識は、今まで険しく燃えていた憎悪の心をいつのまにか冷ましてしまった。
「おれは検非違使の庁の役人などではない。……
何をしていたのだか、それをおれに話しさえすればいいのだ。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ。」老婆の答えが存外、平凡なのに失望した。

前の憎悪が、冷ややかな侮蔑といっしょに、心の中へ入ってきた。
  
「なるほどな、死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いことかもしれぬ。
……しかたがないことを、よく知っていたこの女は、おおかたわしのすることも大目に見てくれるであろ。」
  太刀を鞘に収めて、その太刀の柄を左の手で押さえながら、冷然として、この話を聞いていた。もちろん、右の手では、赤くほおにうみを持った大きなにきびを気にしながら、聞いている
ある勇気が生まれてきた。(正義と)全然、反対な方向に動こうとする勇気 である「きっと、そうか。」不意に右の手をにきびから離して「では、おれが引はぎをしようと恨むまいな。おれもそうしなければ、飢え死にをする体なのだ。」
老婆の着物を  下人は、はぎ取った。
老婆が、はしごの口まで、はって行った。門の下をのぞき込んだ。
外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。
下人の行方は、だれも知らない。
    

 下人の心理変化を主脈とした物語文である。心理は明示され、心理変化の契機も明示されている。この分析図に現れてくるのは、内なる正義感によって状況を変化させようとした下人が、状況によって、心理と行動を変化させられてしまうという経緯である。


2−2 事例3 藤沢周平『陽狂剣かげろう』の構成分析

(文春文庫「隠し剣秋風抄」所集) 


状況半之丞
心理
 正気 ←―→ 狂気
行動
[十左ェ門]乙江を差し出せ
奇矯な振舞いの噂

(!)
「気が触れた真似でも致しましょう」
[乙江]だまされません手放すのが耐え難い  
  (?!)
軽い恐怖
自失し川の中に立っていた
奇矯な言動が藩中に知れわたっていたうまくいった
軽い恐怖
  
[乙江]旅立ち騒ぎしてみせようか
やり過ぎ
正常人に戻ればいい
(?)
 外はいい天気なのに雨戸を閉めている
[おあき]もう真似はやめて下さい (?)  
[雄次郎]一目散に走り出した 苦笑  
  (?)   (?) 狂ってはおらん
  (?)   (?!) はっと気付くと手に刀を握っていた
  (?!)  (?) 秘剣かげろう
[乙江]の死(?!)白刃を握って城中を歩く
乙江を返して頂こう
  (!) 意味不明の狂声

 半之丞は、状況によって、狂気を装うことにしたが、状況の変化と自らの心理変化が、本当の狂気へと自分を追い込んでいく。この分析では、事例文の主な話題「狂気」を取り立てるために、心理を狂気・正気に二分した。心理の空所を埋める場合も、狂気か正気かの推定できる度合を「!」と「?」で示した。

 読み手に、半之丞が正気なのか狂気なのかどちらなのだろうというサスペンデッド状態を起こさせることで、心情移入と心情離反とを起こさせている。半之丞が狂気の剣「陽狂剣かげろう」をふるって、死にいたる最後の場面では、読み手は心情離反しているのだが、それまでの心情移入があったがゆえに、半之丞に対する哀切の感が一層強まるようである。


2−3 事例4 新美南吉『手ぶくろを買いに』の構成分析図

状況母ぎつね
心理行動
冬の到来
「目が痛い」・積もった雪と輝く太陽
遊ぶ子狐・なだれ落ちる雪
手ぶくろを買ってやろう母狐の対応
夜の様子
町の明かり
母狐の恐ろしい思い出狐親子の出発
足がすすまない
  母の決断(?)子狐一人で行かせる
  人間は恐ろしい人間の子供の手に変える
 
状況子ぎつね
心理行動
  (不安?) 子狐一人の出発
[町の様子]帽子屋  子狐戸をたたく
帽子屋の思案@  間違えた手を出す
帽子屋の思案A人間は恐ろしくない
人間ってどんなもの
 帽子屋を去る
人間のお母さんの優しい歌声お母さんにあいたい子狐とんで帰る
 
状況母ぎつね
心理行動
  喜び親子の再会
  (前出)人間は恐ろしい
 ↓
 森の方へ帰る親子狐
子狐「人間は恐くない」人間はいいものかしら  

 事例3の視点人物は、母ぎつね・子ぎつね・母ぎつねと交代する。視点人物を心理行動の主体として、構成図を書いた。

 子ぎつねの霜焼けという状況変化が、母ぎつねの「手袋を買ってやろう」という心理変化を起こさせる。その心理は、町へいくという行動変化に結び付く。町へいくという行動は、キツネ親子を取り巻く状況を変化させる。町の明りが見えるのである。それによって母ぎつねの心理に恐ろしい思い出が呼び起こされる。足が進まないという行動変化を起こす。母ぎつねはどのように思ってか(空所であるが、主題に関らないようである、子ぎつねが冒険し、人間は恐くないという思いを持つためには、母ぎつねがいっしょではうまくない。作者も「しかたがないので」、ストーリー展開上の苦肉の策として)子ぎつね一人で行かせる。

 一人で町に行った子ぎつねが視点人物となる。「人間は恐ろしい」と母ぎつねにいわれているから、それを信じていたが、帽子屋の対応・人間の母子の様子という状況が、子ぎつねの心理を変化させる。「人間は恐ろしくない」し、人間のお母さんは、母ぎつねのように優しいしと、子ぎつねの心理は変化する。

 子ぎつねが「人間は恐ろしくない」というのを聞いて、視点人物である母ぎつねの心理は、変化する。「人間はいいものかしら」と。この疑問に解答を与えることができるのは、子ぎつねでもなく、母ぎつねでもなく、語り手でもない。読み手だけが解答できるし、すべきなのである。

 この作品の構造を単純な図式にすると次のようになる。

新美南吉『手ぶくろを買いに』のブロックの因果関係図
┌──物語世界──────────────────────────┐
│                                │
│┌──母狐──────┐┌─ 子狐 ───────┐       │
││          ││           │       │
││人間は恐ろしい───┼┼→人間ってどんなもの │       │
││  │       ││       │←──┼─帽子屋   │
││  │       ││       ↓←──┼─人間の親子 │
││  ↓←──────┼┼─人間は恐くない   │       │
││人間はいいものかしら│└───────────┘       │
│└──┼───────┘                    │
└───┼────────────────────────────┘
    ↓                             
    読者  新美南吉『手ぶくろを買いに』の作品分析        
        国語表現ゼミナール                  
        私家版 1993 国語表現ゼミナール報告11 「残日録」より 

 作品の構造図式化は、主題を導きだすための手段であるが、その手順として、「状況・心理・行動」による図式化が有効であるようである。この「手ぶくろを買いに」では、心理の変化とその契機とに着目すれば、構造図式化できるからである。


3 おわりに

 「羅生門」の分析では、やや長い(といっても短編に違いないのだが)物語文を図式化するときの、圧縮の実際を示した。『陽狂剣かげろう』の分析では、心理が複層化した場合の扱いを示した(作品によっては「感覚・感情・理性」と分けるのが適切な場合もあろう)。『手ぶくろを買いに』の分析では、視点人物が交替した場合の扱いを示した。

 以上のように、図式は、作品に応じて多少の違いを生むが、「状況・心理・行動」を基本的な枠組みとした上での、派生である。まず「状況・心理・行動」で分類してみて、ここをこのように細分化する方が構造がとらえやすいと判断した場合に行えばよいのである(状況を、人物と人物以外にとか)。ただし、細分化すればするほど、後に行うべき総合が困難になることが多いだろうし、総合してみた結果、細分する必要はなかったということもあるだろう。

 最後に、この「状況・心理・行動」による構造図式が、読み手(であるあなた)に、「珍奇・新鮮」の感を催させなかったとしたら、それは論者にとってこの上ない成功である。論者は、物語文の読者が持つ読みの枠組み(これを話題素と名付けたい)の基本が「状況・心理・行動」ではないかと推測している(実際はもう少し細分化されているだろうが)。読み手(であるあなた)が物語文を読む時の枠組みが、「状況・心理・行動」であるから、それを図式化した構造分析図が(今まで見たこともなかったのに)陳腐に感じるのである。


参照文献

 拙稿
 1. 文章表現におけるサスペンス(1) −サスペンスとしての比喩−
     (大阪教育大学国語国文学研究室「学大国文」36号)p103〜118 H.5.2
 2. 文章表現におけるサスペンス(2) −サスペンスとしての描写−
     (国語表現研究会「国語表現研究」6号)      p25〜32 H.5.3
 3. 文章表現におけるサスペンス(3) −サスペンスとしての構成−
     (大阪教育大学国語国文学研究室「学大国文」37号 )p23〜37 H.6.1

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