E-MAIL 大阪教育大学 国語教育講座 野浪研究室 ←戻る counter

2009 言語教育論受講生が書いた小学校国語教材につかえる物語文

目次

菜々「ねこのはなし」
リュウカ「猟師とオオカミ」
れん「山の神」
かずひろ「ノッチ」
しほ「サンタと私」
佳見「おねえちゃんなんてだいっきらい」
正吾「日向ぼっこ」

菜々「ねこのはなし」

僕は幸せな猫だなあ、とミケは思いながら伸びをした。
皿に盛られたネコ缶の中身に、ゆっくりとかぶりつく。なかなか美味しい。
家の人も、ミケの好みを分かっていてくれるのか、いつもこのネコ缶を出してくれている。一度、このネコ缶が切れたときなど、小学生になったばかりだったりさちゃんは、ミケの缶詰がないと大騒ぎしていた。
 そんなことを思い出しながら、ミケはいつものように、日向ぼっこの場所に向かった。居間のあたりで、すっかり大きくなったりさちゃんに、「ミケ、じゃま!」と追い立てられた。小学生の朝は大変だ。
 家の中で、一番日当たりのいい縁側。
そろそろ、公園のひまわりたちは咲いているかしら。
陽だまりでくるっとまるまって、ミケはいつもの散歩のことを考えた。
もしそうなら、タマと約束していた「ひまわり畑でかくれんぼ」をするんだ。
毛づくろいをしながら、ミケはのんびり考えた。
毎日美味しいご飯を食べて、いつもの縁側で日向ぼっこをして、散歩にでかける。
ぼくは幸せな猫だ、とミケは思った。
 
 とても天気のよい日だった。気持ちの良い風に、しっぽをぱたぱたさせながら、ミケは縁側でまどろんでいた。庭の緑がさわさわと揺れて、隅に咲いている真っ赤なダリアたちが重たそうにあたまをふっていた。
 さあっと風がふいて、庭で一番大きなダリアがゆらゆら揺れた。
そのダリアの下で一匹の野良猫が、庭のすみのダリアの下でこちらを見ている。灰色の、やせた、目の大きい猫だ。
「どこからきたんだい?」
思わずミケは尋ねた。
「向こうの方かな」
野良猫は答えた。
ミケと野良猫はしばらく見つめあったまま、しっぽをぱたぱたさせたり、耳をひくひくさせたりした。
向こうはどうだか分からないが、ミケはちょっととまどっていた。見たことの無いネコに会うのは、かなり久しぶりだったから。
「幸せなの?」
野良猫の言葉にミケはちょっとどぎまぎしながら、口の辺りを数回なでた。野良猫の言っている意味がよく分からなかったのだ。
「ずうっとそうやってて、おなじことしてて、退屈じゃないのかい?」
野良猫はミケをじっとみたまま尋ねた。
「し、幸せさ」
ミケは、耳もしっぽもふるふるぱたぱたさせながら答えた。
そう、僕は幸せだ。
いつもおいしいご飯があって、暖かい陽だまりがあって・・・
灰色の野良猫はじっとミケを見つめたまま
「きみ変わってるね。」
というと、しなやかにひらりと塀の上に飛び上がった。ミケのほうを振り返って野良猫は言った。
「新しいことに出会わなくて、幸せなんて」
そう言うと、さっと塀の向こうに消えていった。
後には、さわさわ揺れる庭の緑と、真っ赤なダリアと、ちょっとどきどきしたままのミケがのこった。

 
 さあっと風が庭をわたって、ミケはわれに返った。
僕は幸せなネコだ。
毎日お気に入りのご飯が食べられて、毎日あったかい縁側で日向ぼっこをして、そうして散歩に出かける・・・・・・。仲良しの友達だっている。
(きみ変わってるね 。新しいことに出会わなくて、幸せなんて)
ミケはするりと立ち上がった。そろそろ散歩の時間だ。きっと、いつもの公園でいつもみたいにタマが待っている。今日は良いお天気だから、かくれんぼするのも追いかけっこするのも気持ち良いに違いない。
僕は、幸せなネコだと思う。
でも・・・
ミケは野良猫が消えた方向に首を向けて、耳としっぽをふるふるぱたぱたさせた。
「・・・今日は少し、散歩から帰るのが遅くなるかもしれないな」
ミケは縁側をかけ降り、塀をしなやかに飛び越えて、外に出た。
                                            

リュウカ「猟師とオオカミ」

   猟師は静かな村でのんびり過ごしている。そんなにゆたかではないが、家族ととても幸せで無事な毎日を送っている。家族は七人で、両親と三人の子供と妻と暮らしている。猟をして生計をたてているが、性格はとてもやさしい人である。いつも、近所の人にとった獲物をあげたり、一人ぼっちのお年寄りのお世話をしたりしている。そして、しっかり責任を持って、家族を守っている。

   とても平穏な生活で、毎日、妻と両親は田圃で稲の世話をして、子供たちはお母さんを手伝う。猟師は雨が降っても、風が吹いても、朝早く起きて、村の近くの森へ獲物を捕りに行く。毎日の収穫は多いとは言えないが、捕った獲物で稼いだお金で、家族と何の不自由もなく、穏やかな生活である。

   その日、猟師はいつものように、獲物を捕りに行った。朝から曇りの天気だったので、森の中も静かで、いつも活発にしている動物はあまり姿が見えなかった。いろいろ苦労しても、その日の獲物はウサギ二羽しかなかった。日が暮れてきたので、猟師は獲物を麻袋に入れ、それを担いで、家路に着いた。

   夜は人を思わずぞっとさせるほど寒かった。月の光も人を不安にさせるものだった。猟師は罠にかかった獲物を取りに行って、一人で家に帰る途中だった。猟師は低い声で歌を歌いながら、不気味な夜のとばりにかげを落としていた、突然、二匹の恐ろしいおおかみが虎視眈々と自分の持ってる獲物を狙って、後ろにくっついて歩いているのに気づいた。緑の四つの目が猟師をにらんで光っていた。
   猟師はこわくて、気が気でなかった。しかたがないが、猟師は前へ行くしかなかった。「俺を食ったらどうしよう。今日の獲物は小さいけど、やはりすこしやろう」と思いながら、オオカミの方へ獲物を切って投げた。中の一匹は肉をとって、そこに止まってかじり始めたが、もう一匹はまたくっついてきた。猟師はをもうすこし投げてみて、ついてきたオオカミが止まったが、先のオオカミはくっついてきた。「このままだったらどうしようもない」と猟師は困っていた。まもなく獲物を全部投げきったが、二匹のオオカミは依然として追いかけていた。

   猟師は自分の危ない状況に、思わず震えてきた。猟師は前後からオオカミに攻められるかなと心配していたところ、道の横に刈り取ってある田んぼを見つけた。その中に山のように積み重ねた藁があった。猟師は素早く藁のしたに入って、獲物を入れていた麻袋をおろして刀を取り出した。オオカミは刀を怖がって前に来ずそのまま猟師を見つめていた。

   その後、しばらくオオカミと猟師はそのままで動かなかった。猟師はすこし警戒をおろそかにして目を離したとき、一匹のオオカミはどこかにいった。目を戻すと、二匹だったのに、一匹になっていたので、驚いた。その一匹のオオカミは犬みたいに猟師の前に座っていた。そして、そのオオカミはのんびりしていて目を閉じているように見えた。猟師は心の中で繰り返して考えて、せっかくのいい機会をみのがしてはならないと思った。猟師は突然飛び上がって、刀でオオカミの頭を重く打った。−―狼の頭が割れた。しかし、オオカミはあがいたので、また何回も打ち続けた結果、オオカミは体中きずだらけで、血の海に倒れた。猟師は続けて家に向かおうとしたところ、急に思い出した。「もともとは二匹のオオカミだったけど、なんで今一匹だけ残ったかな」。藁の後ろに行ってみて、もう一匹のオオカミは必死に藁の小山で穴を作っていて、そこから通り抜けて後ろから猟師を攻めようとしていた。オオカミの体の半分はすでに中に入った。尻と尻尾だけは外に残っていた。猟師は素早く後ろからオオカミの体を真っ二つにした。今になって初めてオオカミのたくらみが分かった。先のオオカミは寝てたふりをして、自分を騙そうとしたのだ。

  夜が更けてきた。猟師は月の光を借りて、空になった麻袋を担いで、低い声で歌を歌いながら、家に歩いて行った。

  月の光が温かく、猟師の足取りは軽いものだった。すっきりした気分で、家族が待っている家に着いた。いろりに、妻の準備した夕食が置いてあった。家族はいつものように、夕食を食べずに猟師の帰りを待っていた。子供たちはいろりのそばであそんだりして、妻は機織りをしていて、両親は仲良く談笑していた。猟師が部屋に入ったところ、「おかえり」というとても元気な声が猟師を迎えた。
   
   「お疲れ様、早くご飯たべましょう」と、妻は猟師の荷物を片づけながら言った。

    家族一緒で炉端に座って、食事を始めた。子供たちは「お父さん、お父さん、今日の獲物は?何か面白いことあった?お父さんの帰りがおそかったから、なにか面白いことがあったかなと思ってたよ」と聞いた。猟師は「帰りが遅くなったのは、オオカミにあったからだよ」と言った。これをきいてから、家族たちはすぐ食事をやめて、猟師に詳しく尋ねた。猟師は笑いながら、平気な声で「大丈夫大丈夫、けがが全然なかったよ。獲物をあげてから、オオカミはどこかにいっちゃった。心配いらないよ」と家族に教えた。

   その夜の夕食はいつものように、笑い声の中で終わった。

   七人の家族は相変わらず、その村で、静かに幸せな生活を送っていた。

れん「山の神」

むかしむかしのこと、山のむこうのそのまたむこうの山奥に小さな小さな村があった。村の近くには小さな森と小さな山があった。その山のてっぺんに、古ぼけて今にも倒れそうなお堂があった。そのお堂には、これまたみずぼらしい格好をした山の神が住んでおった。

この山の神、大変なで何をやっても駄目じゃった。神通力で村人の助けをしてやろうとはするのじゃが、金が欲しいとお願いした者の所へは山の廃寺の鐘が届き、めんどりが欲しいとお願いした者のところへは、うずらの卵が届いた。雨乞いをされれば大雨を降らして田畑を台無しにしてしまったっり、いつもそんな調子じゃった。

そんな山の神は年に一度、出雲へ集まりへ出かけることになっておった。じゃが、他の神と会っても皆、大地震を起こしていた鯰を退治しただとか、大陸からやってきた大妖怪を退治したとか、口々に神様らしい自慢話をするもんじゃから、山の神はだんだん腐っていった。「わしはどうせ、村人一人、村一つ幸福にすることができない。」

いつからか、山の神はお堂に引きこもりがちになった。周りの山や森を見てまわることも、村へ秋祭りを見に行くことも止めてしまった。お堂はますます傾き、手入れをする者もいなくなった。

かずひろ「ノッチ」

「お父さん。早く。早く。急いでよ。」
 僕はお父さんと早くキャッチボールがしたくて、玄関を飛び出した。
「良介。ちょっと待ってくれよ。」
 お父さんの寝起きの声が玄関の向こうから聞こえる。日曜日のお父さんは寝ぼすけだから困る。仕事なら朝早くに起きるくせに。
 そんなことを思いながら、玄関を出たところで待っている時だった。
「ピー、ピー、ピー」
 途切れ途切れのかすかな音が聞こえてきた。
「何の音だろう。どこから聞こえるんだろう。」
 僕は気になったので、音のするほうに目を向けた。音は庭に植えられたキンモクセイの樹の近くから聞こえる。キンモクセイの根本に目をやると、小さな灰色の何かがうずくまっていた。
 僕は駆け寄る。近くに行ってみると灰色の塊の正体が小さな鳥であることがわかった。
「良介。何してるんだ。キャッチボールに行くんだろ。」
「お父さんちょっと来てよ。早く。」
玄関を出たお父さんが僕のほうにゆっくり歩いてくる。
 お父さんを待つ間、僕はかがんで、小さな鳥をよく観察してみる。どうやら、子鳥で怪我をしているみたいだ。
「どうした、良介。」
お父さんの声はのんびりしている。
「お父さん見て。この鳥、怪我してるんだ。どうしよう。」
僕の声を聞いたお父さんも、僕の隣にかがむ。
「ヒヨドリかぁ。」
「えっ。」
「この鳥はヒヨドリっていう鳥なんだよ。巣から落ちたんだろうな。」
そう言ってお父さんはキンモクセイの樹を見上げた。
「どうしよう。このままじゃ死んじゃうよね。」
「そうだな。でも、どうしようも無いなぁ。」
 お父さんは興味が無いのか、すでに諦めたのか、あせっている僕とは違って落ち着いた声で言った。
「どうしようも無いって…。助けてあげようよ。僕が世話するからさ。」
「良介、あのな、小鳥が巣から落ちたらそれはもう助からないんだ。それに、子鳥を育てられるのは親鳥だけなんだよ。」
「そんなの、そんなのやってみなきゃわかんないじゃないか。僕、ちゃんと世話もするし、責任持って飼うからさ。」
僕は、必死だった。
お父さんは、少し考えてから言った。
「本当に、ちゃんと世話するんだな。何があってもお前がちゃんと面倒を見るって約束できるか。」
それまでとは違う、少しきびしい、はっきりとした口調だった。
「うん。約束する。」
 それから、僕とお父さんはキャッチボールの予定は中止して、ホームセンターに行き、鳥かごと餌を買ってきた。
 鳥かごをベランダにつるし、そこに子鳥を移すために、僕はそっと両手で抱き上げた。子鳥に触れた感触はあったかくて、でも頼りなかった。
「大丈夫。僕が助けてあげるから。」
「ピー。」
 まるで返事をしてくれたみたいで僕はすごく嬉しくなった。そっと鳥かごに入れてやると子鳥はぐったりと床に寝そべった。
 「頑張るんだぞ…。」
僕の呼びかけに少し、首を動かしてはくれたけれど、苦しそうだった。
餌を、与えてみたけれど全く食べてはくれなかったけれど、水だけは少し飲んでくれた。
 僕は悩んだ末にその子鳥に「ノッチ」という名前をつけてやった。
 それから、僕は様子が気になって、何度も鳥かごに足を運んだけれど、ノッチは寝ているのかピクリとも動かなかった。ただ、胸の辺りが微かに上下するので死んではいないことがわかった。
 その次の日から、僕は朝学校に行く前に餌をやり、学校が終わったら走って家に帰ってノッチの水を取替え、糞の落ちている新聞紙をかえるというのが日課になった。
 三日目からは少しずつ餌も食べられるようになり、目に見えて元気になっていくのが僕には嬉しかった。
 僕がノッチと出会ってからちょうど一週間が経った。
 その日も僕は、学校が休みにもかかわらず、6時の少し前に目が覚めた。まだ鳴っていない目覚まし時計のスイッチを切ってベッドから起き上がった。
 部屋を出て、廊下を通る時、父さんや母さんを起こさないようにそっと忍び足で玄関に向かう。
 はやる気持ちを抑えて、玄関の扉をそっと閉めて、庭へと急ぎ足で向かう。空は少し曇っていて湿度も高い。でも、僕にはノッチに餌をやるという大切な仕事があるのだから心は軽い。
 庭の物干し竿につるされたノッチの家が見えてきた。
 「あれ、おかしいな。」
 最近ノッチは僕が近づくと、嬉しそうにピーピーとかわいい声で迎えてくれるのに、今日はその声が聞こえない。
 まだ寝てるのかな。そう思いながら僕はノッチの家に近づき中を覗き込んだ。
 止まり木にノッチの姿は無かった。
 視線を下に向ける。
 「あれ…。」
 僕の心臓の音がドキドキと早鐘のように鳴る。頭がぼーっとして何も考えられない。
これは…どうしたんだろう。
 ノッチの家の扉をそっと押し上げ、恐る恐る中に手を入れる。そして、床で丸くなっている灰色の塊にそっと指を差し出す。
 柔らかい羽の感触が僕の指に伝わる。
 良かった…いつものノッチじゃないか。
「ノッチ。餌の時間だぞ。」
 そう言って僕はさらに指をノッチの体に伸ばす。
ビクッ。ノッチの羽を超えて僕の指がノッチの体に触った時だった。その恐ろしいほどの冷たさが僕の指に伝わってきた。
 僕の指が触れてもノッチはピクリとも動かない。
ドッ、ドッ、ドッ…。
 僕の頭に自分自身の心臓の音がこだまする。なのに、僕の指先には静かな冷たさしか伝わってこない。
「ノッチ。ノッチ。起きてよ。ご飯の時間だぞ。」
 僕はほとんど叫ぶように、言いながらノッチの体を揺する。僕の指の動きにあわせてノッチの体はされるがままに左右に揺れる。でも、ピーピーというかわいい声も聞こえない。
「ノッチ。ノッチ。」
僕はひたすら名前を呼びながら、体を揺すり続けた。それでも、何の反応も無い。その時になってやっと僕の頭がノッチの死を理解した。
「大変だ…ノッチが。ノッチが。」
 僕は急に恐ろしくなって、ノッチの体から、指を離す為に後ずさりした。
カシャーン。朝の庭に、鳥かごの扉が閉まる音が鋭く響いた。
その音を聞いた僕は我にかえって、お父さんを起こすために、玄関に向かって走り出した。
 お父さんの部屋に入ると、やはりお父さんは眠っていた。
「父さん。起きて。ねえ起きてよ。ノッチが…ノッチが…。」
僕は、お父さんを起こそうと必死に声をかける。でも、僕は続きの言葉がどうしても言えなかった。
「ん…。どうした良介。」
お父さんの寝ぼけた声が返ってきた。
「ノッチが…ノッチが…死んじゃった。」
僕は何とかその言葉をしぼり出した。途端にノッチの死が現実になったかのように、涙があふれた。
「そうか…。」
「お父さん、どうしよう。」
「どうしようじゃないだろう良介。どうしなきゃいけないか自分でしっかり考えなさい。」
布団から起き上がったお父さんの声は、はっきりとして、もう寝ぼけては居なかった。
「お父さん、お願い。お墓を作ってあげて。」
「ダメだ。良介。最後まで自分で責任を持って面倒を見なさい。それが約束だったはずだろ。」
 お父さんの声が厳しく響く。
 僕はよろよろとお父さんの部屋を出て、家の裏にある納屋にスコップを取りに向かった。
そして、スコップを持って僕は庭のキンモクセイの樹の下に穴を掘り始めた。ノッチの家族にいつまでも見守っていてほしかったのだ。
 僕は、黙って土を掘り返した。ムッとした濃い土のにおいが漂ってきた。僕の涙は流れ続けた。
 ノッチの体より少し大きくて深い穴を掘り終えた僕は、何とか立ち上がり、鳥かごのところに向かう。僕は到着を少しでも遅らせたい気持ちと戦いながら歩いた。
 鳥かごの前に立ち、一つ深呼吸をしてから鳥かごに手を伸ばす。
 僕の手がノッチの体に触れる。そっと両手で包み込むように体を持ち上げる。柔らかさは変わらないのに、あの優しい温かさは無くなってしまっていた。
 ノッチの体を鳥かごから出してやる。それから僕は重い足を引きずるように穴のところに向かう。
 キンモクセイの樹の下にはお父さんが立っていた。
 僕が、ノッチを抱いたまま隣に立つと、お父さんは僕の目をじっと見て、黙ってうなずいた。
 僕は意を決してノッチの体をさっき掘った穴に横たえてやる。
 そして、スコップを手に取り、少しずつノッチの体に土をかけていく。ひとすくい土をかけるたび、僕は心の中で「ノッチが天国にいけますように。」と祈った。
 ノッチの体は少しずつ土に隠れて、最後には見えなくなってしまった。
 僕は辺りを見わたして、手ごろな大きさの石を見つけ出し、ノッチのお墓の上に置いてやった。
 それから、手を合わせてもう一度祈った。
 最後に僕はどんな言葉をかければいいのかわからなかった。「さよなら」でも「ごめんなさい」でもない。だから、僕は「ありがとう」と心の中でつぶやいて、目を開けた。
 ノッチのお墓を見つめ続ける僕の手をお父さんが握ってくれた。それは大きくて温かい手だった。

しほ「サンタと私」

私の名前は川原愛莉。
お人形さんと遊んだり、お絵かきしたりして遊んでいるけれど、遊ぶ時は、いつも一人。だから寂しい時もある。
この間テレビでティーカッププードル見た。
どうしても欲しくなった。
一人じゃなくなる。
お人形さんみたいな犬。
ポケットに入るぐらいちっちゃい犬。
ちっちゃいからいつも一緒にいられる、寂しくないと思った。
お母さんに欲しいと言うと、「犬を飼うことはとても大変なのよ。愛莉は自分のこともきちんと出来ないのにお世話できる?」と言われ、言い返せなかった。でも、絶対に欲しかった。私は、今日から少しずつ自分のことは自分でしようと決心した。
まずは、朝自分の着ていたパジャマを自分でたたみ片付けることから始めた。
自分のお部屋も散らかしたら自分で片付けるようにした。
学校の用意も自分でするようにした。
一つ一つ頑張った。
お母さんは、「愛莉頑張り表100」を作ってくれた。
愛莉の頑張った日はシールを貼ってくれた。
初めは、なかなか貯まらなくてブツブツ文句を言ったりした。
でも、自分のことは自分で出来るようになるために、私は頑張った。
そして、100個目のシールに達成した時、とっても嬉しかった。
次は、「お手伝い表にしよう。」とお母さんとお話をしていた。
その三日後は、私の大好きなクリスマス。
「今年は、サンタさん来るかな?」とお母さんとお話をした。
「愛莉は今年良い子にしていた?」と聞かれ、私は今年一年を振り返り、今までに無く自信満々に「うん。」と笑顔で返事した。
 そして10歳のクリスマスの夜。私は、心の中で「サンタさん、私にティーカッププードルをください。」とお願いをしてから眠った。
 私の顔をペロペロ・・・。
驚いて目を覚ますと昨日まで家にいなかった子犬が目の前・・・。
夢かと思い目を擦ったけれど、首を傾げ私を見つめる子犬。
ふとドアの方に目をやると、ドアにお父さんとお母さんが部屋を覗いていた。
あっ!!サンタクロースからのプレゼントだ♪
子犬を抱っこしてみた。とってもちいちゃくて、お人形のように手のひらに乗った。
心の中でサンタさんに"ありがとう"と呟いた。
それから、子犬とにらめっこをした。
ビー玉のような目を見つめていると、愛おしくてたまらなくなった。
名前は、お母さんと相談した結果『サンタ』と名付けた。
ご飯をあげると逆立ちして喜んで食べた。
お水を飲めば前をびしょびしょにして飲んだ。
散歩に行きたかったけれど、注射を打つまでは「ダメ」だと言われ、散歩に行ける日を楽しみにしていた。
3ヶ月が経ち、サンタは日に日に成長し、名前を呼べば、飛んでくるし、お座りもお手もおかわりまでも出来るようになった。
そして注射のために病院へ行く時、サンタは、不安そうに鼻を鳴らしていた。
私はサンタをギュと抱きしめた。
「今日、頑張ったらね、明日からお外に散歩に行けるんだよ。だから、頑張ってね。」とサンタに声をかけた。
病院に着くと、サンタの目はうるうるしていた。サンタはお医者さんに抱っこされ、ブルブル震えていた。ついに、注射が来た。サンタは大人しく、なくこともなく注射された。あんなにちっちゃいのに泣かないなんて偉いと思った。私もこれからは、注射で泣かないと決めた。
お家に帰ると、サンタは眠った。すごく疲れているようだった。
 次の日、サンタとお母さんと散歩に出かけた。サンタは外を歩くのは、初めてで、不思議そうだった。草が生えていると、くんくん匂い、虫がいると、じーと見つめていた。ところが、他の犬を見つけると、近づいて行った。すると、「ワンッ」と吠えられ、驚いて、私のところに走ってきた。犬を初めて知った日だった。それからは、犬がいても近づいていかなくなった。
 それから、外でいっぱい遊んだサンタを見てお母さんが「サンタをそろそろお風呂に入れてあげないとね。」私は、キラッとお母さんを見た。
それを見ていたサンタは不思議そうに私を見つめていた。
その日は、嫌いなピーマンもにんじんもパクッと食べ、早くご馳走様をした。
お母さんは、驚いて私を見たけれど、はっと思い出し、「サンタとお風呂に入ろうね。」と準備を始めてくれた。お母さんとサンタと私の三人でお風呂に入った。サンタは浴槽を見つめ、鼻を鳴らしていた。私が抱っこをして湯船に入ると、初めは恐がっていたけれど、気持ちよさそうにしていた。
今日はお母さんが洗うことになり、私は見ていた。
「耳に水が入らないように、しっかり地肌まで洗うように、最後に顔も洗うように」と説明しながら洗ってくれた。「次は私が洗うね。」と約束した。
 しかし、この時が最後になるなんて夢にも思わなかった。サンタの頭の中に水がたまり始めているなんて誰が思っただろうか・・・。
 いつも通り遊んでいると、サンタがパタッとこけた。そして、ふらふらっとしてまた起きた。滑ったのかなと思い、また遊び始めた。サンタも元気そうだった。
 それから、こける回数が増えてきた。こけることがお気に入りになったのかなと思っていた。この時、早くに気づいていればよかったのに・・・。
 一ヶ月経ち、朝起きると、いつもなら走ってくるサンタが来ない。見てみるとまだ眠っていた。疲れているのかなと思い、そっとして学校へ行った。お家で大変なことになっているなんて思わず、友達と仲良く遊んでいた。
放課後、お家に帰ると、鍵が掛かっていた。お母さんいないのかなと思っていると、ぐったりしたサンタを抱っこして帰ってきた。
私は、荷物を落とし、サンタに駆け寄った。
「どうしたの?」とお母さんに聞いた。
お母さんは冷静に、「お家の鍵を開けてくれる?」と言われ、私は必死に開けた。
 事情を聞くと、サンタの頭に水が溜まっているとのことだった。注射器で水を抜いてきたらしい。サンタは半目でベロを出し寝ていた。心配で心配で仕方なかった。サンタに話したいことはいっぱいあるけれど、見守るしか出来なかった。
次の日、起きると、少し元気を取り戻していた。昨日の姿とは違い夢かと思った。
お母さんに聞いてみると、
「昨日注射をし、薬を飲んでいるから、見た目は元気よ!」
「見た目?」目を真ん丸にして聞いた。
「病気が治ったわけじゃなくて、薬で抑えているだけなの。」
「サンタの病気は治らないの?」
「ん〜、難しいかな・・・。」
ショックで気づいたら涙が頬をつたっていた。
「でも、今まで通り、サンタと仲良くしてもいいからね。ただ、頭を激しく揺らしてはいけないの。」
「うーん。分かった。」
サンタのところに行き、サンタを眺めた。いつものサンタにしか見えなかった。
サンタがボールをくわえて持ってきた。遊んで大丈夫か心配だった。でも、サンタはしっぽをフリフリして、待っている。いつもなら投げていたけれど、今日からは転がすことにした。サンタは嬉しそうだった。
 散歩も少しだけ行った。サンタは芝生の上でゴロゴロするのが好きで、お気に入りの場所があった。一本の大きな木下だ。少し、歩くとそこへ行って、ゴロゴロする。幸せそうな顔で、時には夢を見ながら寝る。夢を見ていて、恐い夢だったのか、いきなり起きて抱っことせがってくる。とっても可愛かった。こんな日がずっと続くと思っていたのに・・・。
 病院へは月に一度行き、頭の水を抜いてもらう。頭に注射されえるなんて想像するだけで痛い。そのせいか、病院の日、サンタはお疲れだ。
 病気が見つかってから一年。また、よくこけるようになった。そして、元気がない日が増えてきた。病院にも10日に一回に増え、私は不安で仕方なかった。
 でも、サンタは、どんなしんどい日でも朝、私を起こしに来てくれる。顔をペロペロ。
前までは、朝起こされるのが、眠くていやだったけれど、今は、ありがとうってよしよしする。一回で起きるようになった。
 最近のサンタは寝ていることが多くなった気がする。病気が悪くなっているのかな?と心配していた。
 そして、クリスマスの朝、サンタがいつものように起こしに来てくれた。
しかし、私のところに来るまでに、ボテッ、ボテッと何度もこけながら来てくれ、ペロペロするつもりがベロに力がなくデレ〜ンとなっていた。そして、私の枕元でグタッと眠った。私は、夢なのか現実なのか分からず、はっと目を覚ました。サンタが虫のような呼吸で眠っていた。いつもの眠りではなかった。
大声で「お母さん〜〜!!サ、サ、サンタが!!!!!」
お母さんが駆けつけ、「病院連れて行かなくては!!愛莉は行く?待っている?」
私は即答で「行く!!」と答えた。
「すぐに服に着替えて。」
今までにない猛スピードで着替え、顔を洗った。
すぐに出発した。病院に到着し、先生に診てもらったが・・・。
「最後のお別れをしっかりそばでしてあげてね。」と先生に言われた。
「最後?最後?」「いや〜〜〜。」と泣いているとサンタが最後の力を振り絞り、私のところに来て、満面の笑みを見せ、私の腕の中でだんだん冷たくなっていった。
「サンタ。サンタ。サンタ・・・・・。」
何度呼んだか分からない。
サンタは死んでしまった。
サンタが死んで三日間。ご飯も食べたくなかった。ずっと泣いていた。
サンタはもう、朝も起こしに来てくれない。だけど、サンタのいつも来る時間に目が覚める。いつの間にか自分で起きられるようになった。
 サンタが死んで3日目の夜私は泣き疲れて知らない間に眠っていた。
サンタの大好きな大きな一本の木下の芝生。サンタはいつも通り元気に走り回っていた。私は、サンタが可愛くて笑っていた。私の笑った顔を見たサンタは満足そうに満面の笑みで私を見つめ、空へ飛んでいった。空にサンタ型の雲が出来、「いつも空から見守っているからね。」と聞こえた気がした。
私は驚いて起きた。いつもの時間に目が覚めた。
今日からは泣かない。サンタは私の心の中でずっと生きている。いつも一緒だから。
サンタに教えてもらった笑顔で頑張って生きていくことを決意した。

佳見「おねえちゃんなんてだいっきらい」

「おねえちゃんなんてだいっきらい……」

言った瞬間、おねえちゃんはいつもとおなじように悲しげな顔をした。 でも今
日は殊更、ずきりと心臓が嫌な音を立てた気がした。だけれども、里香は無視を
した。だって、許せない。

「おねえちゃんなんて、だいっきらいなんだから……」

里香は戸を蹴破るように、走り出した。決して後ろを振り向かないで。

今日はお母さんの誕生日だ。だから、一週間前から約束していた。お母さんのた
めに晩御飯にカレーライスを作ろうと。でも、里香は友達との遊びに夢中になっ
てしまって、約束の時間を一時間破ってしまった。家に帰ったときには、もう里
香の仕事はひとつもなかった。

「……忘れてたわけじゃないのに」

そう、ぼそぼそ呟いたら、おねえちゃんは苦笑していつもの言葉をいった。「里
香は遊びたいざかりだもんね」なんてもう聞き飽きた。怒られたほうがよっぽど
よかった、とすら思った。9つも年上のおねえちゃんは里香を子どもとしてしか
みてくれない。何でもできるおねえちゃん。何もできない里香。やさしいおねえ
ちゃん。わがままな里香。周りもそうとしか見てくれない。思わず頬を膨らませ
れば、おねえちゃんは少し慌てて「あ、まだヨーグルトジュースは作ってないの。
里香、得意でしょ?お願い」ととってつけたように両手をぱちんとあわせた。そ
うすれば里香の機嫌は直ると思ってるのだ。ほら、やっぱり、子ども扱い。

揺れる影法師。今はたった一つ。ふらり、いつもの公園に入っていった。

「おねえちゃんなんてだいっきらい……」

大好きな、ブランコ。ゆらゆら揺られながら、里香は今日何度目になるかわから
ない呪文を呟いた。いつもだったら、その柔らかな揺れにどんな悲しい気持ちだ
って飛んでいくのに、今日は揺れれば揺れるほど、気持ちは沈んでいく。

「少しぐらい待っててくれたっていいのに……」

確かに帰りが遅くなったのは、自分のせいだ。まあちゃんとの遊びに夢中になっ
てしまって約束の時間を破ったのは…自分だ。けれども、だからといって、すべ
てひとりでやらなくなっていいのに。私だって…にんじんぐらい皮むいて切れる。
たまねぎは難しいかもしれないけれど、いためることはできる。でも…全部おね
えちゃんがやってしまった。家はもう美味しそうなカレーのにおいで充満してい
た。

「……おねえちゃんの、ばか」

前へ後ろへ揺れながら、里香の口からは言葉がこぼれていく。そのたびに、何か
がこぼれていく。

「……好きで、妹になんてなったんじゃないのに」
「好きでお姉ちゃんになったわけじゃないのに」

足に力を入れて、不愉快な揺れを止める。ざりっと大きな音がしたかと思ったと
きには、急ブレーキに体がひっぱられていた。でも、その音は隣からも聞こえて
きて、里香は驚いた。

「わたしだって、好きでお姉ちゃんになんてなったわけじゃないわ」

音の発生源に目を向ければ、そこには白いワンピースの女の子がいた。いつから
ブランコをこいでいたのだろう。うっすら夕焼け色に染まった女の子は、綺麗な
赤色にも見えた。そういえば、こういう赤色は茜色ともいうんだって誰かが言っ
ていた。ぼんやりそんなことを思い出していると、女の子は同じ言葉を繰り返し
ていた。

「わ、私だって…ほんとうだったらお姉ちゃんになりたかったんだから」

いきなり現れた同じくらいの女の子に、自分の心の声が聞かれていたのかと思う
と、急に恥ずかしくなってどぎまぎしてしまう。もしかしたら、里香も茜色に染
まってしまったかもしれない。だけど女の子は里香の存在には気付いていないよ
うで、ただ呟くばかり。最初はただ恥ずかしかった里香も、その言葉に次第にさ
っきの悔しいような悲しいような気持ちがまたこみ上げてきた。

「え…?」

やっと、里香の存在に気付いたのか。女の子は、前しかみていなかった視線を里
香にあわせた。里香は小さく息をのんだ。どこか、おねえちゃんに似ているよう
な気がしたから。

「あなた、おねえちゃんになりたいの?」

でも、目をぱちぱち瞬かせる女の子は、どう見ても自分と変わらない年頃で。高
校生である姉とは似ても似つかない…はずだ。里香は動揺を悟られまいと、大き
く首を縦にふった。

「わたしは……おねえちゃんになんてなりたくなかった」
「どうして?」
「だって、周りは『おねえちゃんだから……』しかいわないんだもの」

女の子は、里香の様子にはあまり気にとめた風もなく、また視線を里香からはず
して前をむいた。でも、その言葉に里香はもやもやが大きくなるのを感じた。

「そんなのズルイよ」

おねえちゃんだからって、おねえちゃんはいつもわたしのことを妹にしか見てく
れない。おうちのお仕事だって、里香がしたら危ないからって。包丁ぐらい学校
で持ったことあるのに。おかあさんも、里香に任せるよりおねえちゃんに任せた
方が早いからって思ってるに違いない。

「妹だからって…だれもわたしを里香として見てくれないんだもん」
「里香…?」
「わたしだって、できるのに……」

女の子はぼんやり前に向けていた視線を、ゆっくりと里香へと戻した。そしてま
た、前を向く。

「そっか」

どれぐらい時間が経ったか、わからない。風だけが、そっと二人の髪を撫でてい
った。

「里香は里香だもんね」

ポツリ、落とされた言葉。
目線をあわせない女の子。
でも、不意に、里香の心は穏やかに、なった。ぽろり落ちたものの代わりに、何
かが満たされたようだった。

「うん」

女の子はゆっくりと立ち上がった。目線だけは、変わらない。里香は急にその視
線の先が気になって、追いかけた。そこには、よちよち歩きの小さな、小さな子
どもがいた。

「わたしはおねえちゃんだし、だけど、わたしはわたしだもの」

女の子は一度だけ、里香の方を振り向くと笑った。その笑顔をみれてよかった、
と里香は思った。

ぼんやりとした光が灯る家。みんな待ってくれていた。「ごめんね」はいえなか
った。代わりに、里香はキッチンに立った。
おねえちゃんは何かをつくり始めた里香をみて、一度だけ口を開いた…けれども
何もいわなかった。いつもだったら、「里香、砂糖はそこの棚。バナナはこっち」
とかいうのに。今日は隣で、カレーライスとサラダを黙々と盛りつけるだけだっ
た。
だから、里香は自分でヨーグルトやバナナ、砂糖の居場所をつきとめなくてはな
らなかった。里香はたまらず口を開きかけた。でも、

ぽん

おねえちゃんは、何も言わない代わりに、背中をたたいてくれた。
里香はようやくできた淡いミルク色をしたジュースを、おねえちゃんが盛り付け
ていたカレーライスの隣においた。

「今日のカレーはいつもより少し辛くて、ジュースは甘いな」
「そうね、いつものもおいしいけど、これはこれでおいしいわ」

おとうさんとおかあさんは、笑っていった。

「ふふ、だって今日のご飯は」

おねえちゃんが、今日はじめて、笑って答えた。

「里香は里香、わたしはわたしがそれぞれに作ったジュースとカレーだもんね」
「……うん」

里香の胸の中には誇らしい気持ちが溢れてきた。自分ひとりで作ったことを認め
てもらえた気がした。でも、なぜか…ちょこっとだけ、ちくりとした。それは無
視しようと思っても、できないものだった。
だって、おねえちゃんの笑顔はあの笑顔にとても似ていて、だけど、ちょっとだ
け寂しそうだったから。

「ねえ、おねえちゃん……」

だから、おねえちゃんの服の袖をひいて、小さく小さく呟いた。
ぼそぼそ呟いた言葉は届いたかな。
おねえちゃんがただ黙って見守ってくれていたように、わたしもそれにこたえら
れたかな。

「そうだね、里香」

きっと、その笑顔が、答えだよね。

正吾「日向ぼっこ」

日向ぼっこが好きだ。日当たりの良いわたしの部屋は、いつも心地良い眠りを誘う。
「わたし、何してるんだろう・・・。」
 三度目の浪人生活。三度目の独り暮らし。三度目の正直なんて言葉、もう信じなくなった。頑張って、という言葉は、もう聞き飽きた。
空高くにあるお日さまとは、三年目の付き合いである。そんな唯一の友だちは、いつも空高いところから、わたしを誘い続ける。だからといって、外に出る気力は湧かない。いつも、暖かい日の光を浴びながら、部屋の窓から外を眺めている。暖かい。そんなことを思いながら、今日も外を眺めてしまう。
「あ・・・猫・・・。」
 二年間、外を眺め続けてわかったことは、猫もお日さまと仲が良いということだ。いつも日向でごろごろしている。わたしみたい。しかし猫とわたしとは、違う。猫は、勉強なんてしない。
「猫かー・・・いいなぁ。」
 猫のようになりたい。何度そう思ったことか。今わたしに絡まっている糸を、全部切り捨ててしまいたい。自由きままに、お日さまと戯れたい。
「猫がいいだなんて、そんなのはきみの勝手な考えだろ。」
そうかもしれない。猫がいいだなんてわたしの勝手な・・・
「え?」
後ろを見る。誰もいない。右を見る、左を見る。誰もいない。前を見ると、窓の外にいた猫も消えてしまっていた。
「・・・誰が喋ったの?」
 きっとお日さまだ、などと馬鹿げたことを考えながら、外を眺めることにもいささか飽きたので、眠ることに決めた。
 すると窓の方で、カタッという音がした。眠ろうとしていたのに。めんどうだが・・・気になる。見ると、窓には猫がいた。真っ白な猫だ。一点のにごりもない白である。その猫に、わたしはしばらくの間、なぜか釘付けになってしまった。そしてなぜか、白い猫も窓からピクリとも動かなかった。猫と見つめあうなんて、はじめての経験だ。すると、猫が口を動かした。
「にゃー・・・なんて言うと思った?」
そんなことはないだろう。聞き間違いだ。
「ねぇ。」
ねぇ、と聞こえたが、それも何かの聞き間違いだ。
「にゃー。」
「ほら、やっぱり・・・」
「なんてね。」
猫に騙されたのも、はじめての経験である。
「何で猫が喋れるの?」
「じゃぁ、何できみは喋れるの?」
わたし・・・何でこんなこと猫に聞いたんだろう。いや、猫と会話をしていることにもっと疑問を持つべきだろうが、目の前で起こっていることはまさしく現実である。
「猫が喋らないなんて考え、ナンセンスだよ。」
ナンセンス。そう言われることが悔しかった。好きでナンセンスなわけじゃない。好きでできないわけじゃない。わたしだって頑張ってる。頑張ってるよね?
「わたしだって・・・。」
「わたしだって何?」
「わたしだって喋れるわよ!」
意味不明なことを叫び、勢いよく窓を閉めた。猫がわたしに向かって喋りかけた。何だったんだろう。気付くと、外は綺麗なオレンジ色に染まっていた。もう一度、窓の外を見ても、そこにあの真っ白な猫はいなかった。
「ホント、人間っていいよね。」
後ろからあの声。振り向くと、真っ白な猫がいる。
「人間が?わたしには猫が羨ましいわよ。」
そこには驚きもせず、普通に言葉を返すわたしがいた。
「じゃぁ、猫になってみる?」
思いもよらない言葉。猫に・・・?羨ましいけど・・・そんなことできっこない・・・
「・・・冗談だけど。」
猫に騙されたのが二回目になった。
「迷ってるなら、やめちゃえば?やるのかやらないのか・・・はっきりしなよ。」
「猫にそんなこと言われる筋合いはないわよ!」
手元にある、お気に入りの枕を投げつけた。猫の声がしなくなった。
「猫になんて・・・わたしの事はわからないわ・・・。」
独り言。窓からはオレンジ色の光。部屋には一人立ち尽くす、わたしがいた。
あの猫が何だったのだろう。喉が渇いた・・・水飲みたい。
「ぼくにも頂戴。」
そこにはまた猫がいた。

E-MAIL 大阪教育大学 国語教育講座 野浪研究室 △ ページTop ←戻る
mailto: nonami@cc.osaka-kyoiku.ac.jp