兵庫県南部大地震報告

(後の名称「阪神淡路大震災」)

野浪正隆



5:46 目覚めたときに、揺れていた。上にどんどんどんと突き上げる感じ。あたりは真っ暗。何が起きたのか解らない。地震かと思ったときに、右足に痛みを感じた。触ると、べたべたする。出血だ。どの程度か解らないが、動くことは動く。

目が慣れて来ると、部屋の中の全てのものが移動しているのが解った。たんすが倒れてきて切ったらしい。暗いので解らない。学校はと思ったけれど、絶対に休みだと気がついて、少し笑った。章子や遥香や詩織がいたらと思うと、ぞっとする。どうするか、まず、寒さ対策だ。幸い、リビングの椅子にコートとズボンを掛けておいたので、足元に気をつけながら、取って着る。血で濡れるけれど、

7:00 明るくなってきたので、何が起こっても大丈夫なように、保険証と母子手帳と(鞄にたまたまはいっていただけ)財布、HP100lx(枕許に置いていたのだが、壊れずに有りました)、実印、ズボンを鞄に詰めて、救急箱を抱えて、病院へいこうとして田中のおばあちゃんにあう。大森さんの所へ行くと見てくれるという。したの階の加藤さん娘3人無事。よかった。回生病院より近いし、行くことにした。いくと、近所の人が大森さんは浜風小学校に行っているはずだという。浜風小学校にはいない。親切な人が探してくれて、消防署へいくと治療してくれるという。いくと、高谷さんが脱臼してすわっていた。はじめは誰だかわからなかったけれど、奥さんがきて解った。消防署の人が応急手当をしてくれた。血はとまっていた。患部を三角巾で縛ってくれた。

回生病院へ行って、足の切れた所を縫ってもらう。麻酔をチクチクと何度も注射して、それから縫う。皮と皮をまさに縫っている。一本ずつ通すだけで、後でまとめて結んでいた。

順番待ちは1人だけ。前のおばさんは、小槌町の人だそうで、頬を縫っていた。その前のおじいさんは、おでこの所。前のおばさんが「あの人の息子さんが家の下敷きになってなくなったそうや」と、僕に話しかけた。

 電話はつながらない。花岡さんはタイミングでかかったというが、芦屋から西宮・神戸にはかからない。両親や、章子・遥香・詩織の安否が気にかかる。早く通じないかな。

 膝の上を切っているので右足が曲げられない。曲げると傷口が開いて出血するようで。自転車に乗るのが一苦労。右足はペダルに突っ張って、左足で地面を蹴る。疲れるんだなこれが。

公衆電話は死んでいるのと、生きているのがある。回生病院待合室の緑電話は生きているらしいが、神戸にも西宮にも接続せず。トーン音をコピーして再発信しているような音がした。

14:00 ジュース・水・着替え・毛布・お菓子を取りに、家に戻る。15階の階段を、痛む足を引きずりながら。倒れているたんすを起こさないと靴下が取れない。火事場の馬鹿力とはあるもんだと思った。

 血に濡れた靴下を替え、汗で濡れたTシャツをトレーナーに替え、ポットからペット瓶にぬるいお湯を移し、ベランダにおいてあったコーラ4本とレモンライム1本を鞄に入れた。電池をとりたかったが、勉強部屋がいちばんひどくて、入れない。机はもっていたようで、CRTのブラウン管も割れていなかった。ひょっとすると、デスクトップも生きているかもしれない。金魚鉢は割れていなくて、30度くらい傾いていた。水は残っていたが、金魚の姿は見えなかった。リビングはひどい様子で、特にモノポリーの10ドル札が目に入った。受話器を取り上げたが、無音である。しんでいるな。

「浜風小学校の教頭先生は家族を残して、3時間かけて登校し、被災者収容に尽力した。」

「ダイエーが2日ほどで空けば、食料は何とかなる。水が問題だけれど、奥池の水を給水車で運ぶとOK。」

犬や猫や小鳥を持って来る人がいる。うちの金魚は、残念だが見殺しだ。

16:00 現在で西宮の倒壊家屋300軒あまり。松原宅は大丈夫だったろうか、壊れたとしたら、全員絶望だが。西宮の家屋数を30万とすると、確率は1000分の1。多分大丈夫だろう。あの家より古くて壊れやすい家が299軒しかないということはないもの。

ブロックによっては、電気がきている所がある。9ー1はきている。浜風小学校はきていない。夜になると、暗くて寒くなるだろう。

 こんなときに限って、寒い寒い六甲下ろしが吹いている。暗くなってしまうまでに、頭の中にあることを、書き込んでしまわなければ。

16:17 現在、HP100LXの電池は3/4。電池が切れてしまうと、書けなくなるし、フラッシュディスクの中身も、怪しくなるかもしれない。

16:20 電気がついた。電話も通じるかもしれない。体育館の時計も動きだした。おかしな時間を示している。1時間30分進み過ぎているように見えるが、じつは、地震で時計がとまってから、通電して動きはじめるまで、10時間30分かかったということだ。

17:09 ひょっとしたらあるかもしれないと思って、鞄の中を探ったら、乾電池4本がでてきた。これでローグでも何でも遊べるぞ。この地震の顛末もわが身に関する限りは、すべて記録できるぞ。電池2本は最終用にして、さて、どれくらいもつかな?

18:15 校長挨拶。芦屋市の死亡者120名。芦屋市より果物と水の配給あり。一家族コップ一杯程度の水とオレンジ1個。
何だか涙もろくなっている。不吉だ。
 赤い靴下
 実は白い靴下なんだけれど、血で赤く染まっている。これを題名にできるな。
とか、
 「暗くなってきたね。」あたりは冬の昼間の日の光にあふれていた。
 というラストシーンを考えたりした。

19:25 号外配られる

21:00 眠りからさめる。床の木も、段々自分の熱で暖かくなって、そんなに寒くなくなった。

21:25 コートのA4ポケットの中に、センターテストで使わなかったドントを発見した。3枚ある。寒さもかなりかわるだろう。一番効く、心臓の上に貼る。

21:59 ぼんやりと思う。我々の考えているレベルの災害(台風とか)しか、経験したことがなかったので、今回のようなレベルの災害に出会うと、パニック状態になる。

多くの人は日常生活をそうしていたように、モラリーに振る舞っている。ただ、自分が生きることに関しては、ずるもするし、縄張意識や既得権のさり気ない主張をする。妥協しつつであるが。ま、あたりまえだ。普通の人間は豹変しない。神が状況を与えて、人間の行動・心理をためしているのではないか。

足の出血が、寝るときに曲げたりするもんで、じわじわと、とまらない。鞄に号外を載せて、「へ」の字になるようにした。新聞紙に血漿が赤くついた。

22:38 隣の三好さんの旦那さん(建築関係勤務)が、帰ってきた。反対隣の若夫婦と子供(姉弟)は、うるさい。躾がなっていない。我慢することをさせていない。父親が叱るけれど、母親がそらして、ごまかしてしまう。自分で少し苛ついているのが解る。

23:42 避難所になっている小中学校の電話番号を調べる。
樋之口小学校:0798-65-6558
甲武中学校 :0798-64-5015
平野小学校 :078-521-3801
湊中学校 :078-511-5322
朝になってもっと電話回線が復旧したら、かけよう。

23:56 体育館の半分くらいの人が寝ている。
浜風コミスクのサッカー野球バスケのコーチが、教頭の呼び掛けで、自警団を作り、みんなのために、働いてくれている。足の怪我がなければ手伝うのに。なにもしないで、待っているより、働いていた方がきがまぎれていい。家族がどうなったか、色々考えてもしかたがないのだから。でも、詩織の見えているのかいないのか解らない大きな目が、思い出されてしまう。無事でいろよ!

00:40 校長から、高浜9ー2が倒れてきたときの対処について連絡。そのときには、学校園に避難すること

00:55 かなり強い余震あり。体育館の多くの人々が、立ち上がった。

00:57 校長から、体育館で靴をはいていてもよいとお許しが出た。

10:00 目覚めると隣の若い父親が、「ここに一人」と言っている。一人でいるのは、自分だけだ。パンの配給だった。「取りにきて下さい」と10m先から言っている。自分は、足をさして、「怪我していて動けない」と言った。「抛り投げますよ」と言う、ボールであった。なかなか上等の食パンで、卵や牛乳がたくさん入っている感じの味。あまり食べてないから味覚が敏感になっているのかもしれない。

11:42 目覚めると、あまり人がいない。浜風(一戸建の地区)で電気がつくようになれば、帰るわなと思った。色々なスーパーの袋を持って人々が帰って来る。ダイエーは開店しているらしい。まあ、物はあるのだから、人手を何とかするだけで、物がないゆえのパニックが避けられる。

12:30 第3集会所の前の電話が生き返っていて、神戸と西宮に電話したが、話中かつながらないか。樋之口小学校につながったので、浜風小学校野浪正隆に連絡してくれるよう頼んだ。

14:00 甲武中学校に電話をかけて、伝言を頼む。神戸には依然繋がらない。西宮は発信音はするが、誰もとらない。大丈夫かなと言う感じがする。なにか、10分毎に涙ぐんでいる感じがする。西宮に行こう。自転車を左足だけでこいで。

体育館に帰って、加藤さんに伝言を頼んで、隣の三宅さんに毛布を貸してあげて、出発した。

15:00 甲子園の阪神高速が落ちている所にいきついた。すごい。写真を写している人がたくさんいる。少しいくと、僕にここからどれくらい離れているか聞いて来るおっさんもいる。興味本意で行動するなよ。死んだ人に怨まれるぞ。

16:00 西宮の実家につく。よかった。潰れていなかった。しかし、いない。ドアを叩いていると、近所のおばさんが、大阪にいったと教えてくれた。義父の弟さんの家らしい。それと、神戸と連絡がついたらしくて、僕の両親が2人とも避難して無事らしいということを教えてくれた。涙ぐんでしまった。全員無事だった。おじさんの家の電話番号は解らないけれど、僕が大学の研究室で待っていれば、連絡がつくだろう。大学は、暖房があるし、食堂があるし、水も出れば煙草の自動販売機もある。パソコンも本も奇麗なトイレもある。お風呂はないが、怪我しているので入れないから、おんなじだ。また、涙ぐんでしまった。よかった。

 おばさん達は、松原さんとこの上の娘さんの婿さん、つまり僕に、おにぎりと白湯(あとでお茶っぱがはいってお茶になった)をくれた、もっと食べろというが、僕はこれから豊かな地域に行く、おばさん達は豊かでない地域で頑張らなければいけない。当然食べられない。

17:00 阪急西宮北口駅につく。自転車はもうとりにくることはないので、誰かに声をかけてあげたらよかったのだが、気恥ずかしくて、できなかった。放置自転車を1台増やしてしまった。

改札制限をしていた。切符販売の制限もしていた。そのせいか、車両は混んでいなかった。「列車数を多くするために、停車時間を短くしないといけない。それで、改札制限しているんじゃないか」と乗客の一人が連れに言っていた。

 梅田駅について、ものの豊かでない地域と豊かな地域の差を実感した。自動販売機に売り切れボタンがついていない。トイレの水が流れている。

19:00 近鉄南大阪線国分駅到着。タクシーで研究室の近くまで連れていってもらうつもり。なかなかこない。煙草を3本吸ってしまった。いらついてではないから、20分くらい待ったのだろう。タクシーの運転手にこれこれしかじかというと、「生の声は迫力ありまんな」という。「元気でやって下さい、わたし等これくらいしか言えまへんけど」と降りるとき言ってくれた。「ありがとう」

 研究室に入るとき、両側の壁にならべてある本棚が倒れているのではないかと思ったが、なんのことはない。いつものまんま。蛇口をひねると水が出るし。
「4回生の最後の卒論指導を予定通りやるぞ」と伝える電話も、すんなりかかった。カップラーメンのシーフードは売り切れていて残念だったが、他の物はある。充分に。

 HP100LXのアポイントメントのTODOに
 生協で買い物
  歯ブラシ・歯磨き・櫛・バスタオル
  Tシャツ(LL 2枚)
  洗濯を家庭科の機械でやらせてもらう
  合宿所のことを、庶務に聞く
と書いた。
CTRL+FILERとやって電池の消耗を見ると、3/4。ほとんど減っていなかった。

22:00 電話をかける。八尾のおばさんのところにかけると、神戸とは連絡がついているという。2人とも元気だという。神戸に電話をかける。つながった。父はともかく、母は少し興奮ぎみ。松原の大阪の避難先の電話番号を聞く。大阪にかける。回線状態が悪い。柏原と松原なのに。みんな元気だという。「章子はシャワーを浴びていて、明日大学にかけさせる」と義父がいう。みんな無事だった。確認した。


 整理して書いたわけではなくて、その時のことをその時そのまま書きました。
この地震で亡くなった多くの方の冥福を祈りつつ。


野浪正隆    e-mail : nonami@cc.osaka-kyoiku.ac.jp
大阪教育大学 教員養成過程 国語教育講座 国語学第2研究室