武者小路実篤『若き日の思い出』をよむ

                国語教育第一ゼミ

 

 

 

 

 

 

 

一 はじめに

 

 『若き日の思い出』は、作者武者小路実篤が六一歳のとき、陸輸新報に、『母の面影』という題で、戦中戦後をとおして全一〇三回にわたり連載(日刊)された雑誌記事である。それらを集めたものが、今回私達がテクストとして選んだ単行本『若き日の思い出』である。長年母の庇護の下にあった主人公「私」(野島厚行)が療養のためにK海岸へ一人旅に出かけ、そこで同級生の宮津とその妹正子に出会う。そして、それをきっかけに様々な人物との交流を通して「私」は成長し、また、正子との恋をも成就させるというストーリーである。私達はそのような本作品に魅了され、興味深くよむことができた。それは本作品が象徴性の高い文体で描かれており、典型的な予定調和型の物語展開であるからではなかろうかと考えた。本作品には、夢や理想を饒舌に語る人物が登場する。この理想や夢に相対する概念はあまり存在しない。そして、誰にも疑われることなく良きものとして受け入れられている。つまり、その夢や理想に対する疑問や苦悩は一切なく、また、それらが他者によって歪められる事が全くないのである。そこで本作品を「大人の童話」として位置付け、分析、考察を行った。

 まず、その題名の改稿が、読み手にどのような違いを与えるかについて考えた。

 

二 初出との異同からみる題名の改稿

 

 『母の面影』でも『若き日の思い出』でも「母」が共通のモチーフとなっている。「私」の理想の女性像を象徴する「母」は、「私の母」と「正子の祖母」であるが、『母の面影』として物語を読むのと、『若き日の思い出』として物語を読むのとでは、「私の母」と「正子の祖母」に違いが生じる。

 『母の面影』では、「正子の祖母」に高い象徴性を持たせていると思われる。なぜなら、第一〇〇章から第一〇二章まで、題名と同じ「母の面影」と題された正子の父の手紙が書かれているからである。また、『母の面影』の第一章に「人生というものにはどんな宝が与えられているか書きたい」「自分と同じ人間に生まれた、またこれから生まれる人々に喜びを与えたい」とあるが、このことは第一〇二章の「正子よ、お前にこの母の面影が伝わっているのだ。このことを光栄に思って、それを恥しめてはいけない。」や「貴き人が死ねば、又何処かに貴き人が生まれる。それが正子、お前であってほしいのだ。(中略)貴き人の母となり、祖母となれ。」ということばに対応している。「私の母」も「私」が尊敬し、「神聖なもの」とするように、理想の母親像を描く役割を担ってはいるものの、先述の「正子の祖母」に比べるとそのはたらきは弱い。

 登場頻度から印象づけられる「母」をみてみる。『若き日の思い出』では、「私の母」に高い象徴性を感じる。物語中に登場する「母」の中で最も多く登場するのが「私の母」である。題名は『母の面影』ではないので、読み手は登場頻度の最も高い「私の母」から理想の母親像を描く。

 このように、題名によって「母」の印象は違ってくるのである。題名が『母の面影』であるのと、『若き日の思い出』であるのとでは、読者に対して読む前に与える印象が異なる。『母の面影』は、題名に「母」ということばがはいっているので、読者は自ずと「母」を意識して読み進めていくことになる。一方『若き日の思い出』では「母」を意識することなく、若かりし主人公の思い出の回想を読もうとするだろう。

 『母の面影』と『若き日の思い出』は出版された時の時代背景が異なる。『母の面影』は戦時中に書かれた。戦時中であるのとないのとでは、「母」の重みが違ってくる。戦時中は、常に「死」を意識しているので「生」への執着が出てくる。「生」の象徴として「母」がいるので「母」の重みが出てくる。終戦後に発表された単行本『若き日の思い出』においては戦時中ではないので、象徴される「母」も違ってくるのではないか。

 

三 構成からみる『若き日の思い出』

 

@構成の概観

 構成をみるにあたり、私達は、『若き日の思い出』をよんでいくなかで、「K海岸」という空間が、この物語を支える重要な役割を占めていることに気付いた。

 第一章で「老作家」が語り出した自分の「若き日の思い出」を、第二章以降はその「老作家」を「私」という一人称語りに変えて物語は始まる。第二章から第四章に書かれた「私」の思い出は、幼少期の「死」に対する恐怖であった。そして、「私」の姉が死んだ二一歳という年齢を「私」が迎えたときに、物語は新たな展開をみせる。それは、「私」が初めて母から離れ、「K海岸」へ療養に行くことから始まる。

 その「K海岸」で初めて、「私」が、その後の人生の伴侶となる正子と出会い、そこから「私」は、様々な人との出会いを通して成長していく。そして、最終章である第一〇三章で、「私」と正子は再び「K海岸」に行き、この物語が希望に溢れたハッピーエンドで終わるのである。この物語は、大変象徴的なことばを多く用いているが、その中でも「K海岸」は、特に「月」や「波」というものに演出され、「私」にとって特別な場所となっている。

 そこで、私達は第一章、第二章から第四章とは別に、第五章から第一〇三章を二一歳の「私」が語り出す、「K海岸」で始まり「K海岸」で終わる物語として取り上げてみていく。「私」の姉が人生をとじた二一歳という特別な年齢を、正子を得、理想を得たことで「私」は克服するのである。そこに作者がもっとも筆をさいて、この「K海岸」で始まり「K海岸」で終わる物語を描いた理由があるのではないだろうか。

 次に、構成をみるにあたっての基本的な枠組みを図示する。







 
 





 

二〜四

 

 五〜七
 

 八〜一〇二

 

一〇三
 



 
 冒頭 結末 
   〈K海岸という空間に挟まれた一つの物語〉
 〈「私」の若き日の思い出〉 

 

 『若き日の思い出』の第一章は、

  これは老作家が若き日の思い出をかいたものである。しかしそ  れは外面の事実かいたものか、内面の事実をかいたものか私は  知らない。老作家に聞いても笑って答えないであろう。とにか  くこんなものがかいて見たかったのだろう。少くも書いている  うちにこんなものになったのであろう。

となっている。これをみれば分かるように、第一章は、主人公「私」の老いた姿である「老作家」と、第三者の語り手である「私」というふうに語り手が二重に存在するので特異なものと考え、第二章〜第一〇三章の「私」の思い出とは別のものとして分けた。さらに、「私」と正子の出会いの場として「K海岸」に着目すると、実際に物語が動き始める場であり、また、最終章である第一〇三章も「K海岸」であることから、第五章から第一〇三章を〈K海岸という空間で挟まれた一つの物語〉として扱うこととした。第二章〜第四章は、主に「私」の幼少期における身近な者の死と、死についての考えが述べられており、マイナス思考の下限を明示する役割を担っている。さらに、〈K海岸という空間に挟まれた一つの物語〉の構成を考えるにあたって、正子との出会いを迎えるまでが描かれた、第五章から第七章を冒頭部とした。また、出会った二人が結ばれ、再びK海岸へ行く第一〇三章を結末部とした。

 このような構成と捉えた上で、第一章の改稿からみる特徴と、序論である第二章から第四章、また、本論としてのK海岸という空間に挟まれた一つの物語である、第五章から第一〇三章をとりあげて論じたい。                                  

A第一章

 次に、第一章における語り手の違いを詳しく考察する。

 『母の面影』は第一章から最後まで語り手が「私」であるが、『若き日の思い出』では第一章は「私」(以後「私A」)が、第二章から最後までは「老作家」が語り手である。なぜこのような違いがあるのかを考えてみた。

 先に述べたように初出である『母の面影』は戦時中に書き始められたものであるが、まずその第一章をみることにする。戦争という時代背景の下に、「私」は当時の日本を支える「若い人」に対して感謝の念を覚え、「いい齢」になってはいるが「人々に喜びを与える小説」を真剣な気持ちで書こうと決意するのである。

 次に『若き日の思い出』の、戦後に改稿された第一章をみることにする。「私A」がこの作品をかいたとされる「老作家」を語ることから始まり、執筆の意図については全て「私A」の推量であってはっきりしたものはなく、第二章以降の語り手である「老作家」の主体性が希薄なように仕組まれている。

 このように第一章が改稿されたことの重大な原因は、終戦であろう。終戦前の「私」は、「若い人」たちに影響されて自分もと意気込んだ存在として描かれていた。その執筆途中に終戦を迎え、精神的に執筆の支えであった「若い人」たちの努力が報われないままに戦争が終わってしまったことに、筆者である実篤はすくなからう落胆したのではないだろうか。「若い人」達に喜びを与えるために書くことを決意したこの作品に対して、その意味を見出せなくなってしまったでのはないだろうか。だから、この作品が再び世に出る際には、主体性のない、語り手「老作家」を「私A」に紹介させることで語り手をカモフラージュさせるように仕組んだのだろう。

 第二章以降、語り手はどちらも一人称の「私」であるが、その違いには実篤の失意のようなものを含んでいるのではないだろうか。すべては推量の域を出ないが、その微妙な違いを感じずにはいられない。

 

B第二章から第四章

 「若き日の思い出」を「K海岸」の物語として取り上げて考察した。すると、実際に主人公「私」が「K海岸」に行くのが第五章からであるので、K海岸の物語は第五章から始まる。それならば、六一歳の「私」が視点人物として懐古的に語られる第二章から第四章までを、「私」がK海岸に行く前までの描写があるひとつの枠組みとしてみていきたい。    

 第二章から第四章までをみると、特徴的な反復表現として「死」と「恐怖」がある。また、第二、三、四章と展開するに従って、第二章は少年の頃の「私」、第三章の四段落目は十二、三歳の頃の「私」、五段落以降と第四章は二一歳の時の「私」が語られており、それぞれの年齢において「私」を取り巻く環境と、それに対して抱く「私」の「死」と「恐怖」についての認識の違いが見られる。

 第二章における「死」と「恐怖」については、子どもの頃の「私」を描くことによって表されている。第二章は、「自分は子供の時は人並はずれて臆病でした。私にとって一番怖いのは死ぬことでした。」という二文から始まる。つまり、「私」の「少年期」は、「臆病」「怖い」「死」ということばを使って描かれるのである。それは、第三段落から第四段落にかけて説明されているが、「私」は自分の家庭環境によって、「死」を間近に考えざるを得ない状況に三歳の時からおかれていたということによるものだ。また「私」は、その「死」を毎晩のように夢で経験する。「殊に眠っている時、夢で殺されそうになると、その恐怖の深刻さに閉口しました。生れたのを後悔した程です。」そしてその夢は、「死」そのものではなく、逃げようのない「死ぬ」という状態に直面した時の「恐怖」を彼に経験させる。そして、「私」は「世界で一番偉い人間」になるために、「恐怖」を克服したいと考え、それが出来ない限り「自分は下らない人間」であり、それによって「ひけ目」を感じるという考えをするようになる。「しかし人間はいつか必ず死ぬものであることを自分は忘れることは出来ません。」というように、「私」は常に「死」の存在を身近に感じている。この第二章では「死」=「恐怖」であるから、「私」は常に「恐怖」を感じながら、子どもの頃を過ごしたのだ。  

 第三章の第一段落から第四段落における「死」と「恐怖」は、一二、三歳の時の「私」について表される。第三章にはいると、「私」の環境に大きな変化が起こる。それは、「学校」である。おそらく「私」は一二、三歳になる前から学校には通っていたのだろうが、「私」にとって、学校の同級生が、大きな「他者」として「私」に対して君臨するようになったのがこの時期であると思われる。その他者の登場は、「私」の精神に二つの影響をおよぼす。第一には、実際に、身近な同級生の「死」を経験すること。第二は、「私」自身を公然と否定する存在に直面することである。そして、それに対して「私」は、「この友達が死んだことを僕はあまり悲しまなかったので、なお心にとがめられたらしく、その後よくこの友達の夢を見ました。」と語る。ここから読みとれることは、「私」は「死」に対して悲しんだり、同情したりすることはしないということと、人から否定されるのをとても気にするということである。そしてその出来事もまた、「夢」のなかで「死」となって、「臆病者」である「私」の精神を「恐怖」へと追いつめる。  

 第三章の第五段落以降は、二一歳の「私」が六一歳の「私」によって語られる。この二一歳という年齢は、「私」が十五歳の時に、六番目に生まれた「私」の姉が肺病で死亡した年齢である。つまり、「私」はこの二一歳という年齢を、不吉な「死」の予感を持って迎えたに違いないのである。そして、その書き出しは「私は風邪をひきました。」であり、「風邪」=「病」=「肺病」という連想を与え、また、この部分で初めて「私」の母、兄が登場する。彼らもやはり、野島家のなかで共に多くの死を体験した人々であり、「私」に対して「私」と同じ不安を感じていたと思われる。また、「私」のほうもそんな母・兄に対して気を遣う。「咳のことを忘れるのが一番いゝのだということは知っていても、母の前に出て母の心配そうな顔を見ると、つい咳が出るのでした。」しかし、この部分からみて分かるように、「私」は、自分の頭の中で、母への気遣いが、「不安=咳=肺病=死」というつながりとなっていることを感じ始める。そして、「私」は「人間は神経でいつでも病人になれるものだ」ということに気付く。しかし、「神経」(気のせい)というものの働きを捉えるときに、「私」は悪いほうにばかり考えてしまう。「科学的でありたい。」「幻影に迷わされたくない。」とは言いながら、結局母の心配を気にするあまり、「私」の咳は止まらないのである。  

 第三章の第五段落以降から第四章における「私」の環境の変化とは、「私」が姉が死んだ二一歳を彼が迎えるに当たって、「死」の予感と「母の心配」というプレッシャーを、「咳」という目に見えるものに投影し始めることである。「私」は、もう逃げる場所がないというところまで、自分を追い込んで、第五章以降の「K海岸」に行かざるを得ない状況になっているのだ。第四章に、このような記述がある。「私は少年の時にはよく自分の死ぬことを考えました。六十一歳になるこの頃では、あまり死ぬことは考えません。それ程自分の死ぬことが気にならなくなったのでしょう。」つまり、「私」は、K海岸に行くということを経験することによって、不吉な「二一歳」を乗り越え、「死」を恐れなくなっている。そして、この二文を読んだ読者に、「私」(老作家)がそうなった理由を知りたいと思わせる効果がある。        

 第二章から第四章は、第五章以降の「K海岸」の物語をむかえるとき、「私」の心理を、「死」「恐怖」という、精神的・身体的に深く落ち込んだ状態に設定する。そして、「神経でどうにでもなる」ということを何度も言うことによって、読者が物語の展開をいろいろに空想しやすいようにもしていることが分かる。                                    

C〈K海岸という空間に挟まれた一つの物語〉の冒頭と結末

・冒頭部

 私たちは、健康である状態、前向きな思考や行動を「プラス」と捉え、逆に不健康な状態、否定的で自虐的な思考や行動を「マイナス」と捉えた。そうすると、 第二章から四章で設定されている「私」は身体的にも精神的にもマイナスの状態であった。それが第五章で母から離れて「K海岸」へ来ることによって咳が止まり、「生理的に健康を取り戻」すことにより身体的にはプラスの方向へ向かっている。マイナスの軸しかなかった「私」の気持ちのバイオリズムが変化し始めたのである。つまり五章でプラスが表れたことにより、マイナスとプラスによる気持ちの「揺れ」が生じる。

 そしてこの「揺れ」は続く第六章にも表れている。朝の「K海岸」で身体的にプラスだから「若さが充実」していたり「元気」であるが、謳いたいが謳えない、饒舌っているが訳の分からないことであると言った姿が描かれていることから「私」の気持ちの「揺れ」が表れている。しかし、場面が変わり夜の「K海岸」になると朝とは打って変わってプラスがなくなり、マイナスの表現ばかりが続く。六章での「夜」と言う空間は幽霊や化け物と結び付けることで「恐れ」を演出し、「私」のバイオリズムをマイナスへと向かわせている。しかしそれでも「その夜」外に出たのは「月」による力であり、第七章で明らかになる「月」の役割の伏線となっている。

 第七章で人間の骨のかけらや幽霊や霊魂と言った言葉で「恐れ」を演出した空間を通り抜けることで「夜」を「美しい」と感じることができるようになる。その美しさは「月」がはっきりしない、ぼんやりした感じを出し神秘的な空間を作ることによって表されている。ここで再びプラスの方向へ向かう。さらに「月」によって作り出された空間ではいろいろのことが想像でき、空想好きの人や年頃の人は「詩的気分」になることから「月」が「ロマンチックな空間」を演出している。だからこそこの時の海は「いっそう感じが深いもの」なのであり、出会いのときを迎える準備が「私」のバイオリズムだけでなく空間においても完了している。つまり「私」の気持ちのバイオリズムのピークが「詩的気分」なのであり、それを演出する空間も「いっそう感じが深いもの」とピークを迎えたときが「その時」なのである。

・結末部

 結末部である第一〇三章は冒頭部でみられたような気持ちの「揺れ」は否定的な表現がないことからみられないといえる。さらに言いかえれば、この結末部においては「プラス」の表現が多くみられるのである。また、「月」という点で比較すると、両者とも「月がいい」という設定は変わらない。冒頭部では、はっきりしない、ぼんやりした感じをだして、神秘的な空間を作る役割として「月」が設定されているのに対し、結末部では「隈なく照ら」しているという表現から、はっきりとした空間を作り、「輝く」という効果さえも生み出している。

 この二点から、第二章から第四章で設定された「マイナス」の要素が解消されたということがわかる。また、これは第四章の末部にみられた、「死」を恐れない、安定した六一歳の「私」(老作家)を想起させるものである。

 月が「隈なく照らす」ことによって、上記のようにはっきりしなかった空間が「輝く」空間へとこの作品を導き、読み手もこの作品から安心感を得ることが出来るのではないだろうか。

 このように、冒頭・結末に「K海岸」という空間的な反復を用いることによって、「月」や「波」という象徴的な要素は「私」の精神的な成長を明確に浮き彫りにする。演出された時空間は「私」が成長するきっかけともなり、また、正子と恋愛を成就させる要因でもあったのだ。

 

四 登場人物の役割とその登場人物の「私」への影響 

 

 『若き日の思い出』には、明確な役割を果たす象徴的な人物が登場する。これは第三者の語り手がいる物語ではなく、「私」が語る一人称の物語であるため、登場人物の役割も「私」の価値観が反映されたものになっている。

 登場人物をみていくと役割ごとにグルーピングができることに気づいた。その中でも特に「私」にとって重要な位置を占めていると

考えた、宮津、川越、宮津父についてみていくことにした。

 

 まず、宮津についてであるが、ここでは彼の発話に注目して、役割を見た。宮津は「私」の学友で、「私」の思い人である正子の兄である。宮津の言葉は「私」に心理的影響を与え,行動を促す。宮津の言葉によって「私」は行動を起こすきっかけを得て,物語は進んでいく。また、「私」は宮津の言葉によって不審や不安を抱く場面の両方が見られる。

 例えば、宮津が「私」に「妹の数学を見てやってくれ。」と頼むことによって、「私」は正子との仲を深めるきっかけを得、実際ここから正子と会話することができるようになるのである。

 また、宮津との会話によって、「私」は正子に親しく接することができる家庭教師の沢村の存在を知り、いらぬ嫉妬心を抱く。そして沢村もまた、宮津父に期待されている人物であることを知り、落ちこむのである。しかし、「私」は自分自身を励まし、力づけ、この葛藤を乗り越える。

 さらに、宮津には「私」の理想化された正子像に現実味をくわえていく役割もある。「私」は宮津との会話の中や、宮津と正子の会話から正子の人物像を捉えていく。正子は、「私」にとっては「はっきりとは見えない存在」である。「私」は自分の心の中に正子の理想像を作り上げる。しかし宮津と正子の会話や正子に関する「私」と宮津の会話を幾度となく繰り返すことにより、理想像でしかなかった正子が天使ではなく、現実味を帯びた一人の人間として現れてくる。美しいだけのヒロインではなく、子供っぽいところがあったり、勝気なところがあったりと、親しみの持てる姿が見えて、「私」は正子に対する愛しさをより募らせていくのである。

 例えば「私」の目の前ではじめて正子と宮津の対話がなされた、第一二章、釣りの場面では正子の負けず嫌いさが「私」に伝わった。また、第二〇章の宮津と「私」の会話では正子の碁に対する、好きでやっているが勝つことにこだわらないという姿勢が宮津の口から語られている。

 しかし、第五六章で「私」と正子の目が合ったとき以降、「私」と正子と宮津の三人で会話する場合が増える。反対に正子と宮津の会話は減る。そして宮津と「私」の正子に関する会話でも、宮津の発話が変化していく。

 そうして、「私」と正子がお互いの気持ちを確かめ合うまで宮津はこの役割を続ける。それ以降は、見守り役へと変わっていくのである。これらは、「私」と正子が宮津を介さず直接会話する、宮津が話す最後の場面、第九三、第九四章の場面によく表れている。そこでは、宮津の今までの発話が意図したものではなく、偶然の結果生まれたものであることを象徴しているように思う。そしてこの場面自体が「K海岸」での正子との出会いから心が通じ合うまでの恋愛物語の象徴であるかのように語られている。ここでは「いい月」によって「K海岸」を導きだし、話題にすることによって「私」と正子の関係の結末を表す。また、宮津を含む三人の質的意味が変化している。「私」と正子、二人の媒介者としての宮津から、二人を見守る宮津へと変化するのである。それは三人の歩く並び方にも表れている。

 以上のように、宮津は絶えず「私」に働きかける役割を果たす。宮津のひとことから「私」と正子の出会いが生まれる。宮津の発言によって「私」は心の中に疑問や不審を抱く。そして思い悩み、心の成長を遂げていく。また宮津の発言は、物語を展開させる役割をも果たしていた。 

正子との出会いも恋の障害も、そして恋愛の成就も、すべて宮津のひとことによってひき起こされるのである。「私」にとって宮津は、正子のことを知る上でも、正子との距離を縮める上でも、そして恋する者の葛藤によって精神的に成長するためにも必要な存在なので

ある。 

川越
 

 次に、川越について彼が登場する場面で多用される、「仕事」、「精神力」、「生命力」の反復表現から彼の役割を考えた。

 川越はプロの画家である。川越の「仕事」への思いはプロならではの、真剣さがみられる。川越が「仕事」への思いを語ることで、まだ学生である「私」はなにかしようという意欲を持つ。意欲を持つことで「私」は「自ずと元気になる」のだ。川越の「仕事」への思いがエールとなって「私」は元気になる。また、「私」の進むべき道は文学に生きることだと決心させる。このことは、第一章に登場する老作家へとつながっていく。川越は「仕事」に対する姿勢や語りによって、「私」に理想を植え付ける役割を担っている。

 また、川越と「私」の共通点として上げられるものは「精神力」の強さである。川越は「精神力」を精一杯使って画をかきあげ、その「精神力」の大切さを「私」に語っている。そして「私」は川越に感化されるのである。自分の「精神力」に自信を持ってきたところで、「私」は文学をやろうと決心する。このときに再び川越は登場し、「私」の「精神力」を評価する。このことから「私」はより大きな自信を持つのである。この「精神力」を川越の中にも「私」は認めている。「精神力」があれば「征服慾」を忍耐強く燃やし続けることができると、川越は「私」に語っている。「私」はそのことを川越の言葉だけでなく、川越の姿勢からも感じとるのである。二一歳は、のちの「老作家」への礎が築かれる年齢なののである。

 川越は、彼にとって「画をかくことが人生そのものだ」という理想を「私」に語っている。「私」はその理想に共感をおぼえる。そして「私」はそれを実践する川越に感心し、「真剣に生きる充実さ」について深く考えさせられるのだ。それは宮津父の語る「よく生きること」につながるのである。そして「私」は川越に宮津父の肖像画を描くことを依頼し、この二人の「仕事」と「人生」の理想を結びつける。これらをうけて、「私」は「しっかりと」生きなければと思う。

 川越は「私」にとっての啓発者の役割を果たすといえる。「立派な仕事」を成すには「立派な人間」にならねばならない。さらにそのためには「立派な行動」をしなければならず、それを成すには「よく生き(全生命をかけること)」なければならない。「私」はこれらのためには「精神力(忍耐強さ)」が必要であることに気づかされるのである。川越は「私」が自分の「精神力」を認め、自信を持ち、それを高めるきっかけとなるのである。

宮津の父
 

川越同様「私」に理想を植え付ける人物が宮津の父である。宮津の父は、理想を「生命」という形でもっている。

 宮津の父は「本来の生命」を忘れないことが大事であると語る。そして、この「本来の生命」のままに生きていくことが大切であるのだと言っている。宮津父がここで語るのは「生きる」ことについての理想である。「本来の生命」が何であるか、はっきりとは語らないが、それを正子は「純粋な気持ちで正直に生きること」と理解し、父は「まあそうだ」と答えている。

 宮津の父は「人間の値打」というものについても語り始め、それを「生命」として語る。そして「人間の値打」は、その人の「生命」が「他人」に与える影響の「質と量」によって決まると言っている。宮津の父は、まわりに「質も量」も優った影響を与える人間こそ、理想の人間だと考えている。

 父は、さらに「生きること」から、「生きぬくこと」へと話を進めていく。「生きぬくこと」は、ただ単に一人の人間として「生きる」ということだけでなく、先祖から受け継いできた「生命力」を、さらに子孫へと受け継いでいくことである、と言っている。そして、その「生命力」を持つ「私」と正子が結ばれることを祝福している。「生命力」をつなげていくことが、宮津の父の持つ「生きること」の理想であろう。これは、同じ二一歳で逝った姉とは違う未来を「私」が確信していく場面ともとらえることができる。

 以上のように、宮津の父が語る「生命」から、彼の持つ理想について考えると、これらはすべて「生きること、生きぬくこと」に集約されているといえる。宮津の父の「生きること、生きぬくこと」についての理想と、川越の「仕事」に対する理想を受け、「私」は「私」自身の理想を形作るのである。

 また、「私」が幼少期の「死」に対する怯えを克服するために、宮津父の存在は大きい。彼の生きることについての理想は、先祖から受け継いだ生命力を子孫へと受け継いでいくというものであり、これに触れることによって「私」は死に対する怯えを克服することができるのである。宮津父は、冒頭で死を身近に感じていた「私」に、「生きられる自分」をわからせてくれる人物ともいえる。

 このように『若き日の思い出』の登場人物は明確な役割を果たし、これらはの影響を受けて「私」は成長していくことがわかった。

 

五 「二人」、「三人」の用法にみる語りの特徴

 

 次に、語りの特徴をみると、第二章以降でこの作品は、「私」を中心とした一人称の視点から語られている。しかし、まるで別の第三者が客観的に見て書いてあるかのように描かれている場面がある。それは特に、作品中よく使われる「二人」という言葉に、顕著にあらわれている。

 この「二人」には、「私」から見て対象化された「二人」と、「私」を含めた「二人」が使われていることに気づいた。

 そこで「私」からみて対象化された他者の「二人」、私自身を含めて対象化された「二人」、をそれぞれグルーピングした。

 表の横軸は「二人」という語によってさししめした人物。横軸は各章を前半部・後半部とし、 「私」と正子がお互いの気持ちをた

しかめあった第七〇章を境としてわけた。

 〈二人表現の回数表〉






 
   一〜六九章  七〇〜一〇三章
 「私」・正子  四回  一五回
 「私」・母  二回  〇回
 「私」・宮津  六回  三回
 「私」・兄  二回  一回
  正子・宮津  八回  一回





 

 

 この表からみると、物語の後半から徐々に「私」と正子の距離が近づき、二人の思いが深まるに連れ、「二人」(「私」+正子)の語も多く登場していることに気づく。これは「二人」という語の用法かつ、物語の展開と無理なく呼応しているのである。

〈「二人」における場面設定〉

 この物語の主軸は、「私」と正子のラブストーリーである

しかし、「私」と正子の「二人」が最初から出てくるわけではない。最初、正子は第八章で兄・宮津の妹として登場している。この時、正子は、「兄・宮津と妹・正子」の「二人」として、「私」と出会うのである。その後、「私」は宮津と関わっていくにつれて正子の存在が大きくなり、「「私」、正子」という「二人」として自らを対象化していく。それは、第二一章から現れてくる。

 この場面で、既に「私」と正子が結ばれる予感を示唆する表現が用いられている。このとき、「私」、正子、宮津といった三人が数学という話題を共有していたとき、宮津が一寸外に行く。そんな、二人だけという、限定された時間に、正子は「私」に話しかける。「私」と正子が二人だけの時間を共有するという場面設定がこの時から既になされている。また、宮津あっての「私」と正子であったのが、「私と正子」に変わるきっかけともいえる第二一章と考えられる。

〈笑いのモチーフ・「私」+正子=二人〉

 「私と正子」の「二人」は、第二一章ではじめてあらわれる。そして、第二一章、第二三章であらわれたら、次は第五一章まででてこない。そして、第五一章、第五三章と続いた後、次は、第七一章にあらわれる。そして、第七一章以降は枚章にあらわれている。ちなみに、第七〇章で二人はお互いの気持を確認しあう。

 特徴的なことは第五三章の「私と正子」の「二人」が「笑い」(微笑)とともに登場し、以降、第七一章、第七四章と「微笑」のモチーフが反復されるところである。第七四章は、「正子は今までになく〜入ってきました。」「私は〜腰掛けました。」このような一人称視点から、「二人は黙っていました。」と、二人称のような書き方があらわれる。すると、「私は何か言いたいのですが〜。」と、一人称語りに戻り、再び「しかし二人は同時に〜」と自らを対象化したかのような書き方で終わっている。こうした特殊な語りの起伏と正子を思う私の心の揺れが呼応して効果的である。

 さらに、この「笑い」というモチーフをみていきたい。第八章では、宮津と正子の「笑い」というものから、物語が動き出している。第八章で、「私」は「宮津と正子」と運命の出会いをはたす。この

章は「笑い」といった語が四回も反復されている。これがいかに効果的に使われているかみていきたい。「私」にとって、まだ誰もわからない「二人の影」を印象づけたのは、嬉しそうな若々しい笑い声から始まっている。ここに、「笑い」で印象づけられた二人の出会いの特別な時間が設定されていることに気づく。しかし、この「笑い」は「私の世界とはまるで違った世界の人々です。」と述べられているように、「兄・妹正子」と「私」との距離感を感じさせるものである。物語の展開とともに、この「笑い」が、正子と「私」をつなぐきっかけとなっていくのである。

 その後、「私」と正子がひとまとまりで二人と表現されているところを見ると、「笑い」という行為から「手を握る」という行為に移っていることに気づく。

このように、あえて「私と正子は黙って手を握り合っています。」とせずに「二人は黙って手を握り合っています」と「私」と正子をひとまとまりとして表現し、二者の一体感を強調している。

〈「私と正子」をひとまとまりとした「二人」〉

 今まで、「私」と正子を指す「二人」という語に着目し、「笑い」、「手を握り合って」の反復表現を軸に考察してきた。その中でも、第二三章、第五三章、第七一章、第一〇三章はとても印象に残る表現であった。これらに共通して言えることは、「私」が「私」自らを客観視しているような「二人」という語の使い方がみられることである。これは一人称語りの三人称的な視点の移動を感じさせる。本作品の第一章は、「私」が老作家の「若き日の思い出」を紹介する、という書きかたで始まっていた。第二章は、その作家が全面に登場し、「自分は、子どもの頃は…。」と語り出すかにみえた。が、先に考察にしたように、時代の激変を経て、改稿された、第一章であることを考えると、自らを「老作家」と語りだし、カモフラージュする書きぶりと考えられる。そのような第一章の語りの特徴は、自らを「私と正子」を「二人」と語り出すことで微妙に変化させた語りに受け継がれていくといえよう。

 

六  結章(第一〇三章)の考察―まとめにかえて―

 

 結章である第一〇三章は、私たちが様々な観点からみてきたことが集約されていることに気付いた。会話に出てくるものを含め、すべて登場人物を列挙してみると、「私」、正子、川越、宮津の父、「私」の母、宮津の母、正子の祖母となっている。それぞれの登場人物が迎えた結末から第一〇三章をみていきたい。

〈ラブストーリーの結末部としての第一〇三章〉

 K海岸で出会い、はれて結ばれた後、またK海岸へ行く「私」と正子の姿が描かれている。ここで着目したいのは、前述したように非常に重要な役割を果たしていた宮津が登場しないことである。

「私」と正子は、宮津を通じてお互いの思いを告白し、結ばれる。その後、宮津は「私」や正子の「代弁者」としての働きはしていない。つまり、「私」と正子が結ばれてからの宮津は「代弁者」としての役割を終えたのである。したがって、第一〇三章に宮津が登場しなくても、「私」と正子は無事ハッピーエンドを迎えることが出来るのである。

〈結末にあらわれる「私」の理想〉

川越が宮津の父の肖像画を描くことになり、その肖像画について宮津父が評価している。前述したように川越の描くものは本物である。その川越が宮津父を描くということは、宮津父を信用していることである。「(中略)君を一目見た時から、僕は君を信用しましたよ。人間て一目見ればわかるものですよ。」という川越の言葉からもうかがえる。また、その肖像画を宮津の父が絶賛していることから、宮津父も川越を信用していることがわかる。

 このように最終章で川越と宮津父がお互いに信用しあうことで、それぞれの理想が結びつき、「私」の理想として一つになる。

〈「母」からみた第一〇三章〉

この場面では「私」と正子の会話で、「母」について多く語られている。その理想の母として「私」の母と宮津母と正子の祖母が登場している。

 『母の面影』と『若き日の思い出』の第一〇三章の異同をみると「母」についての書き換えは全くなされていない。両者にあって、その理想の母親像は「いくら苦しい時も堪え忍ぶ、その力こそ無限の力で、日本の柱と思いますね」と明瞭に述べられている。しかも、理想の「母」は第一〇三章の前までは「私」の母や正子の祖母によって周到に語り出されていた。それらを受けて、第一〇三章の「母」は「日本の母」というさらに大きな枠組みの中で捉え直されるのである。したがって、第一〇三章は理想の「母」の完結編とも考えられる。

〈結章に多用される三人称的な視点〉

先に考察したように、この物語は冒頭から自らを「老作家」と

語り出し、語り手と「わたし」の存在をカモフラージュする書きぶりがなされていた。結末に至って、「私」と正子は「二人」という言葉の中に集約され、あたかも第三者の語り手が恋人達を遠くから見つめているかのような印象を与える。それゆえ、このような語りぶりからも首尾照応が感じられ、作品としてのまとまりを生んでいる。

 

七 おわりに

 

 以上のように、「大人の童話」として様々な観点から分析したことによって本作品の魅力や「癒し」の仕掛けが少しではあるが明らかになった。それは戦後の人に対する武者小路のメッセージであり、また、現代に生きる私達にも十分響くものであった。

 

 

〈参考文献〉

 ・『武者小路実篤』全集 第一四巻

 ・武者小路実篤一九九〇年二月二〇日 小学館発行

 ・『民話の形態学』

 ・ウラジミール・プロップ著、大木伸一訳 一九七二年九月

  白馬書店発行

 ・『武者小路実篤』 武者小路実篤著 一九九四年一〇月二五日

  日本図書センター発行

 ・『児童文学辞典』白木茂、副田気清人、那須辰造、松村定孝、  滑川道夫、山室静 編 一九七〇年三月一五日

  東京堂出版発行

 ・『児童文学事典』日本児童文学学会編 一九八八年四月八日

  東京書籍株式会社発行

 ・『日本児童文学大事典』大阪国際児童文学館編

  一九九三年一〇月三一日 大日本図書株式会社発行